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Sezon 1987
能登半島の珠洲(すず)に梨山という山があり、その山懐には大きな沼があった。沼には太古から天をも突くという大蛇が棲んでいると言い伝えられていた。
その付近一帯は梨山の天辺に屋敷を構えるおやすさま(地主さん)の土地となっており、おやすさまはこの繁栄も大蛇さまのおかげと、日々山の上の祠の前で大蛇さまを拝んでいた。
そんなある夜、庭からおやすさまを呼ぶ声が聞こえる。
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能登半島の珠洲(すず)に梨山という山があり、その山懐には大きな沼があった。沼には太古から天をも突くという大蛇が棲んでいると言い伝えられていた。
その付近一帯は梨山の天辺に屋敷を構えるおやすさま(地主さん)の土地となっており、おやすさまはこの繁栄も大蛇さまのおかげと、日々山の上の祠の前で大蛇さまを拝んでいた。
そんなある夜、庭からおやすさまを呼ぶ声が聞こえる。声の主は何と沼から山頂の屋敷にとどく巨大な鎌首をもたげた大蛇であった。大蛇は沼に千年住んだ自分は次に海に千年住まねばならない。ついては沼を出る際、おやすさまの土地を荒らしてしまうかもしれない、とことわりを入れてきたのだ。
しかしおやすさまは承服できない。さらなる繁栄のため、もう千年、いや二千年沼にいるように大蛇に申し渡す。さらに翌日からは大蛇が沼をでる事のできないように、蛇の嫌う鉄気、すなわち巨大な鉄杭で沼を囲ってしまう。
加えて、それぞれの鉄杭に蛇封じの札を貼る作業を百姓の茂兵衛にまかせた。茂兵衛がおっかなびっくりお札を貼っていると大蛇が現れた。
茂兵衛は腰を抜かすも、大蛇の話を聞く内に気の毒になり、自分の土地なら使ってもよいと申し出る。大蛇は喜んだ。その夜、沼から長大な鎌首をもたげた大蛇は茂兵衛の土地に一旦身を着けると、後はどこにも触れることなく海へと滑り込んで行った。
翌日、茂兵衛の土地は大蛇の接地でめちゃくちゃになっていたが、小山ほどもある大蛇の糞が残されていた。その糞は黄金でできており、茂兵衛はやがて長者となった。一方、守り神に出ていかれたおやすさまの家は、それからしばらくして衰退してしまった。
昔、陸奥の岩手での話です。
ある年の春の日、年老いた六部(ろくぶ:旅の僧)が一夜の宿をもとめて、一軒の長者屋敷を訪ねました。何代も続いている長者屋敷は大変立派で華やかで、ここに暮らす長者の孫左衛門もやさしい顔つきの老人で、六部を厚くもてなしてくれました。
その晩、眠っていた六部が物音で目を覚ますと、布団の周りで三人の娘たちが手まり唄を歌いながら毬(まり)で遊
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昔、陸奥の岩手での話です。
ある年の春の日、年老いた六部(ろくぶ:旅の僧)が一夜の宿をもとめて、一軒の長者屋敷を訪ねました。何代も続いている長者屋敷は大変立派で華やかで、ここに暮らす長者の孫左衛門もやさしい顔つきの老人で、六部を厚くもてなしてくれました。
その晩、眠っていた六部が物音で目を覚ますと、布団の周りで三人の娘たちが手まり唄を歌いながら毬(まり)で遊んでいました。子供たちに心癒された六部は、走り回っている娘たちに思わず「そんなに走ると危ないぞ」と声をかけてしまいました。その瞬間、娘たちの動きがパタッと止まり、そのままどこかへ逃げていきました。
翌朝、朝飯を済ませた六部は、昨夜の出来事は夢でも見ていたのだろうと思い、孫左衛門にお礼を言って、そのまま屋敷を出ました。
それから、何年か月日がたったある日の事、その六部がひさしぶりに長者屋敷の近くを通りかかりました。すると屋敷から三人の娘たちが出てきました。六部が「あんたたちは、長者屋敷の者かね?」と尋ねると、娘たちは「これから出ていく所だ、隣村の長左衛門の屋敷に行く」と言って、立ち去って行きました。
長者屋敷の孫左衛門はもう亡くなっていて、今は見るからに欲深そうな若い当主に代替わりしていました。それで六部は、さっきの娘たちは座敷童子だったのだろうと気が付きました。座敷童子に出ていかれた長者屋敷は、まもなく不幸な出来事が続きみるみるうちに没落し、隣村の長左衛門の屋敷は、とんとん拍子で栄えていったという事です。
昔、あるところに伊平、六助、八兵衛の同い年の男がいた。
ある年の秋の終わりのこと。来年、三人は厄年を迎えるので、厄払いの為に善光寺参りをすることになった。信心のおかげか雨に降られることなく、三人は無事に善光寺参りを済ませ帰りの旅路についた。
やがて山ひとつ越えれば村へ帰れようかという辺りに来た時、思いもよらぬいざこざが起こった。喉が渇いていた三人は、民家の敷
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昔、あるところに伊平、六助、八兵衛の同い年の男がいた。
ある年の秋の終わりのこと。来年、三人は厄年を迎えるので、厄払いの為に善光寺参りをすることになった。信心のおかげか雨に降られることなく、三人は無事に善光寺参りを済ませ帰りの旅路についた。
やがて山ひとつ越えれば村へ帰れようかという辺りに来た時、思いもよらぬいざこざが起こった。喉が渇いていた三人は、民家の敷地に立つ柿の木から実を取って食べようとしたが、家の主に見つかってしまい、慌てて逃げた。
また、別の民家の犬に追いかけ回され、六助は仕方なく持っていた杖で犬を叩いて追い払った。ところが家から出てきた飼い主は、三人が犬を苛めたと誤解して怒ったものだから、またも三人は慌てて逃げた。伊平と八兵衛は六助のせいで自分たちまで悪者扱いされたと、六助を責めるのだった。
さて、もう山を越えれば村へ帰れる所まで来たが、ここで急に雲行きが怪しくなり雷雨に見舞われた。三人は古寺に入り雨宿りをしたが、荒れ狂う雷は恐ろしくて三人は震えるばかりだった。
その時、伊平は「誰かが悪さをしたからその人に雷を落とそうとしているのでは?」と言い出し、八兵衛は「六助が柿を取ったり、犬を叩いたりしたからだ。」と言う。六助は「お前たちも気持ちは同じだったし、悪さをしているだろう」と弁明するも、伊平はなおも続ける。
伊平が言うには、自分たちの笠を外に出して、それが風に吹かれたり、雷に打たれたりしたら笠の持ち主を悪者とし、古寺から出ていくのだと。そこで三人は自分たちの笠を外に出した。すると六助の笠だけが風に飛ばされてしまい、六助が寺を出ることになった。
すると、雨に打たれながら必死に念仏を唱える六助の近くに雷が落ちた。だが落ちたのは六助の所ではなく、二人がいる古寺だった。六助は焼け落ちた古寺へ向かい意識を失った伊平と八兵衛を助け出した。二人は意識を戻したが、六助を悪者扱いした自分たちの愚かさを恥じ、六助に謝った。
六助は「えらい目に遭ったのはお前たちであり、これで一足先に厄落としが出来たものだ。」と言ってふたりを許し、三人は笑いあった。こうして三人は仲良く村へ帰るのだった。
昔、瀬戸内海に浮かぶ小さな島の山頂に一人の山姥(やまんば)が住んでいた。この山姥は、夜になると目をさまし、島の泉で一風呂浴びてから食事をするのが常でした。
ある日、船頭(せんどう)の親子が突風にあおられ海で立ち往生していた。仕方なく近くの気味悪い小島に船を付け、海岸で焚き火をしていると、大きな山姥が現れた。人を捕って食ってしまうという山姥に、身の危険を感じた親子は
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昔、瀬戸内海に浮かぶ小さな島の山頂に一人の山姥(やまんば)が住んでいた。この山姥は、夜になると目をさまし、島の泉で一風呂浴びてから食事をするのが常でした。
ある日、船頭(せんどう)の親子が突風にあおられ海で立ち往生していた。仕方なく近くの気味悪い小島に船を付け、海岸で焚き火をしていると、大きな山姥が現れた。人を捕って食ってしまうという山姥に、身の危険を感じた親子は隙をみて逃げ出し、急いで船を出した。
船が海岸から離れ岬の先端に近づくと、先回りした山姥がニタニタと笑って立っていた。山姥は着物を脱ぎ大きな乳をあらわにすると、白い乳をピューピューと船に向かってかけはじめた。山姥の乳が船にかかると船が動かなくなるという言い伝えがあるので、親子は必死で逃げた。
しかし、一滴だけ船の舳先(へさき)にかかってしまい、船の艪(ろ)が動かなくなった。親父は「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」と、一心に念仏を唱えながら、乳のかかった舳先を小刀で削り続けた。必死に唱えている念仏を聞いた山姥は乳を出すのをやめ、泣き始めた。山姥にも念仏のありがたみがわかるのか、いつまでも岬の先端に立って泣き続けた。
親子の船は再び動けるようになり、無事にこの島から逃げ出す事が出来た。岬の事を「鼻」という事から、この岬を「念仏の鼻」と呼ぶようになった。
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