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Sezon 1986
あるところに仲良しのおじいさんとおばあさんが住んでいました。
ある日、畑仕事をしていると、おばあさんが「オラもう死ぬだ」と言い残し、死んでしまいました。お葬式をだしてやろうと、おじいさんは近くの寺の和尚さんに頼みに行きましたが、「金が出せないなら葬式はできない。」と断られてしまいます。その和尚さんは欲ばりな和尚さんで、狐の皮の上にいつも座っています。
仕方な
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あるところに仲良しのおじいさんとおばあさんが住んでいました。
ある日、畑仕事をしていると、おばあさんが「オラもう死ぬだ」と言い残し、死んでしまいました。お葬式をだしてやろうと、おじいさんは近くの寺の和尚さんに頼みに行きましたが、「金が出せないなら葬式はできない。」と断られてしまいます。その和尚さんは欲ばりな和尚さんで、狐の皮の上にいつも座っています。
仕方なく、おじいさんは近くのお墓におばあさんを 埋めてやろうと、一人で穴を掘りました。そのとき、掘った穴の中から金で出来た釜が出てきました。不思議なことに、掘り出した釜は一人でに動いて、おじいさんの家に行ってしまいました。おじいさん は後を追って、中にあった小判1枚で葬式をしてあげようと考え、再び和尚さんのところに行きました。
和尚さんは、その小判を見て「葬式をやろう。」と快諾しました。しかし、欲張りな和尚さんは、おじいさんから金の釜の話を聞くと、おじいさんの家にあるその釜を奪いにいく計画をたてました。
そして、和尚さんは狐の毛皮をかぶり、おじいさんの家を襲いに行きました。おじいさんは驚いて、素直にカマを渡しました。しかし、和尚さんは釜の呪いにかかってしまいました。狐の毛皮が体から離れなくなってしまい、本物の狐になってしまったのです。
そして、おじいさんは隣村の和尚さんを呼んで、おばあさんの葬式を行うことができました。更におじいさんは、よくばりな和尚さんがいなくなった寺を代わりに守っていくことにしたそうです。
昔、ある山奥に親子三人が暮らす一軒家がありました。
ある日、おっとうが油を買いに村へ行く途中で、子供たちに棒でたたかれている一匹の狐を見つけました。可哀そうに思ったおっとうは、狐を買い取り、そのまま逃がしてあげました。
その後、おっとうが油を買って家に帰っていると、急にあたりが暗くなり、華やかな嫁入り行列が現れました。おっとうは誘われるがまま結婚式に出席し、
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昔、ある山奥に親子三人が暮らす一軒家がありました。
ある日、おっとうが油を買いに村へ行く途中で、子供たちに棒でたたかれている一匹の狐を見つけました。可哀そうに思ったおっとうは、狐を買い取り、そのまま逃がしてあげました。
その後、おっとうが油を買って家に帰っていると、急にあたりが暗くなり、華やかな嫁入り行列が現れました。おっとうは誘われるがまま結婚式に出席し、その夜は花嫁の家に泊まる事にしました。
寝床を準備してくれた花嫁は、「決してこの長持ちの箱の中を見ないで下さい」と念を押しました。しかしどうしても箱が気になったおっとうが、こっそり箱を開けてみると中には鏡が貼ってありそこにはキツネの顔が映っていました。
おっとうは、何のことやらわからないまま眠りにつきましたが、翌朝目を覚ますと自分の顔がキツネになっていました。こんな姿では家にも帰れないと、おっとうは花嫁の家に置いてもらう事になりました。花嫁は大変喜んで、毎日毎日たいそうなおもてなしをしてくれました。
毎日を楽しく過ごし、三年が経った頃、おっとうは家に残してきたおっかあと子どもの事が気になり始めました。泣いて引きとめる花嫁に別れを告げ、おっとうは顔を見られないようにしながら、家に帰りました。
しかし、家に帰ったおっとうの顔は、キツネではなく人間の顔で、三年と思っていた月日も実は三日しかたっていませんでした。おおかた、助けたキツネが恩返しのつもりで、花嫁に化けておもてなしをしたのでしょう。
昔、ある山あいの村のはずれに、一人の風変りな婆さまが住んでいた。婆さまは、丘の上にある水神塚の横に住んでいて、毎日水神様の祠に手を合わせていた。
そして口癖のように「水が一番ありがたい。水を穢せば(けがせば)罰かぶる。」と言いながら川の掃除をするのだった。ところが他の村人は、この婆さまを“川婆さん”と呼んで馬鹿にして、婆さまの言うことをロクに聞かなかった。そればか
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昔、ある山あいの村のはずれに、一人の風変りな婆さまが住んでいた。婆さまは、丘の上にある水神塚の横に住んでいて、毎日水神様の祠に手を合わせていた。
そして口癖のように「水が一番ありがたい。水を穢せば(けがせば)罰かぶる。」と言いながら川の掃除をするのだった。ところが他の村人は、この婆さまを“川婆さん”と呼んで馬鹿にして、婆さまの言うことをロクに聞かなかった。そればかりか、川にゴミを捨てて川を汚していたのだ。
そんなある年の夏の事、今まで誰も経験した事のない日照りが村を襲った。日照りは七十日以上も続き、川の水は干上がり、田畑の作物は枯れ始めていた。村の者が雨乞いをする中、婆さまは一人祠の前で祈っていた。村人が川を汚すので、水神様がお怒りなって雨を降らせないのだと思った婆さまは、村人に代わって水神様に詫びていたのだ。
すると七十七日目に、ようやく待望の雨が降り始めた。しかし村人は雨が降り出すと、婆さまが止めるのも聞かず、また川にゴミを捨て始めたのだ。
するとどうだろう、空には雷鳴がとどろき、雨は激しさを増した。川はみるみるうちに水かさを増し、村の田畑や家々を押し流す。村人は必死になって逃げ、村の高台にある寺に逃げ込んだ。しかし、一人婆さまだけは祠の前で祈り、水神様の怒りを鎮めようとしていた。今や、濁流は祠もろとも婆さまを呑み込もうとしている。
その時だった。なんと水神様の祠から、村の高台にかけて大きな虹がかかった。そして不思議なことに、気づくと婆さまはその虹の上を歩いていたのだ。こうして婆さまは、虹の橋を渡り、無事高台に降り立った。
これを見た村人は、今まで川を汚していた自分たちの行いを恥じ、その後は決して川を汚すことはなかったそうな。
むかしむかし、年神さまという神様がいた。その年神さまの仕事というのは、年(とし)の晩に一軒一軒家を回って年を一つずつ配るという仕事だった。年神さまは村人から嫌がられていたので、毎年憂鬱で胃を痛めていた。
ところで、村外れにお爺さんとお婆さんが住んでいた。この二人も年神さまと同じ様に毎年年の晩が近づくと憂鬱な気持ちになるのだった。そんな中でも二人は若い頃を思い浮かべ
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むかしむかし、年神さまという神様がいた。その年神さまの仕事というのは、年(とし)の晩に一軒一軒家を回って年を一つずつ配るという仕事だった。年神さまは村人から嫌がられていたので、毎年憂鬱で胃を痛めていた。
ところで、村外れにお爺さんとお婆さんが住んでいた。この二人も年神さまと同じ様に毎年年の晩が近づくと憂鬱な気持ちになるのだった。そんな中でも二人は若い頃を思い浮かべながら懐かしさに浸っていた。こうしてお爺さんとお婆さんは、年神さまから年を貰わないで済む方法を毎日一生懸命になって考えた。
そしていよいよ年の晩がやってきた。年神さまは仕方なく痛む胃を押さえながら、人々に年を配る準備を始めた。年神さまは次々に人別(にんべつ)帳の名前を呼ぶと、袋の中へ人々に配る年の札を入れていった。ちょうどその頃、村外れのお爺さんとお婆さんは家を抜け出した。お爺さんとお婆さんは、年神さまが年を配っている間に少し離れた竹やぶに身を隠すことに決めた。
年神さまは嫌がる村人を見ると、段々元気が無くなっていった。そんな中、有難がる老夫婦や喜ぶ子供、そして年を貰うことによって立ち上がる赤子に感動し、気の滅入っている年神さまも少しは自信をつけた。除夜の鐘が鳴るまでにお爺さんとお婆さんに年を配っておかないと、二人は正月が来ても年を取らないことになる、年神さまは急いでお爺さんとお婆さんの家へ行ってみたが誰もいなかった。
さあ、大変な事になってしまった。二人に何とか年を配らねば、年神さまの役目が果たせないのだった。年神さまは焦った。焦ってあっちこっち探し回ったがどこにも見当たらなかった。何と年神さまは誰も見ていないのをいいことに、残った二枚の年札をポイと捨てて帰ってしまった。そして何と捨てたはずの年札が、偶然空から竹やぶの中にいたお爺さんとお婆さんの元に届いてしまった。
こうして、竹やぶに逃げ込んだお爺さんとお婆さんは結局年を一つ取ってしまったが、その後も増々二人仲良く元気に暮らしたそうだ。
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