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Season 2020
国会開設へ自由民権運動が盛り上がる中…それまで明治政府を支えた岩倉具視が病死。維新三傑(西郷・大久保・木戸)、そして岩倉が亡くなり時の主役は伊藤博文に。一方、地方では農民の武力蜂起「秩父事件」が勃発。なぜ農民たちは暴動を起こさないといけなかったのか?その中で内閣制度が始まり、初代総理大臣・伊藤博文が誕生。国会開設への下準備を着々と進めていく!
国会開設へ自由民権運動が盛り上がる中…それまで明治政府を支えた岩倉具視が病死。維新三傑(西郷・大久保・木戸)、そして岩倉が亡くなり時の主役は伊藤博文に。一方、地方では農民の武力蜂起「秩父事件」が勃発。なぜ農民たちは暴動を起こさないといけなかったのか?その中で内閣制度が始まり、初代総理大臣・伊藤博文が誕生。国会開設への下準備を着々と進めていく!
今回は伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任し、近代日本の土台作りを始めた明治19年から、大日本帝国憲法が発布された明治22年までを取り上げる。欧米列強と対等な立場を目指した伊藤内閣の前に立ちはだかったのが「治外法権」だ。和歌山沖で日本人客25人が死亡した英船・ノルマントン号の沈没。この海難事故を発端に不平等条約の改正を求める世論が起きるのだが…そして明治22年「大日本帝国憲
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今回は伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任し、近代日本の土台作りを始めた明治19年から、大日本帝国憲法が発布された明治22年までを取り上げる。欧米列強と対等な立場を目指した伊藤内閣の前に立ちはだかったのが「治外法権」だ。和歌山沖で日本人客25人が死亡した英船・ノルマントン号の沈没。この海難事故を発端に不平等条約の改正を求める世論が起きるのだが…そして明治22年「大日本帝国憲法」の発布。作成を主導した伊藤博文は憲法に何を求めたのか。現行の日本国憲法との違いは何か。憲法学者の木村草太教授の話をまじえ、近代国家を歩み始めた明治の日本を考える。
日本がいよいよ、世界に認められる近代国家へとスタートを切ります。まずは「第一回衆議院議員選挙」。その投票率は、なんと93.91%(未だ史上最高値!)…なんですが、現在とはまったく選挙事情が違ったのです。そして、日本初の「帝国議会」が開かれますが、予算案をめぐって大荒れに!初めてづくしでトラブル続発の「近代国家への船出」を、この時の内閣総理大臣・山縣有朋は、どう乗り切るのでしょうか!?
日本がいよいよ、世界に認められる近代国家へとスタートを切ります。まずは「第一回衆議院議員選挙」。その投票率は、なんと93.91%(未だ史上最高値!)…なんですが、現在とはまったく選挙事情が違ったのです。そして、日本初の「帝国議会」が開かれますが、予算案をめぐって大荒れに!初めてづくしでトラブル続発の「近代国家への船出」を、この時の内閣総理大臣・山縣有朋は、どう乗り切るのでしょうか!?
明治24年、来日したロシア皇太子を警護していた巡査が切り付ける事件が発生!大国ロシアの報復もあり得る状況で日本政府がとった策とは!?さらに、朝鮮半島で農民らによる内乱が勃発!実はこれが、日清戦争のキッカケに。朝鮮国内のもめごとが、なぜ日本と清国の戦争に発展したのか!?日清戦争開戦の真実に迫ります!
明治24年、来日したロシア皇太子を警護していた巡査が切り付ける事件が発生!大国ロシアの報復もあり得る状況で日本政府がとった策とは!?さらに、朝鮮半島で農民らによる内乱が勃発!実はこれが、日清戦争のキッカケに。朝鮮国内のもめごとが、なぜ日本と清国の戦争に発展したのか!?日清戦争開戦の真実に迫ります!
朝鮮半島内での反乱をきっかけに勃発した、近代日本初の対外戦争『日清戦争』宣戦布告前に起きた「豊島沖海戦」最大の海戦「黄海海戦」難攻不落の要塞「旅順攻略戦」など激戦の裏側に隠された事実とは?「眠れる獅子」と畏れられた大国・清に対し、小さな島国・日本は、どのような戦いを繰り広げたのか?
朝鮮半島内での反乱をきっかけに勃発した、近代日本初の対外戦争『日清戦争』宣戦布告前に起きた「豊島沖海戦」最大の海戦「黄海海戦」難攻不落の要塞「旅順攻略戦」など激戦の裏側に隠された事実とは?「眠れる獅子」と畏れられた大国・清に対し、小さな島国・日本は、どのような戦いを繰り広げたのか?
日清戦争に勝利し、莫大な賠償金と、台湾、遼東半島を手に入れた日本。ところが、アジアでの南下政策をとるロシアは、ドイツ、フランスと組み、遼東半島を清に返還するように要求してくる。ロシアとの圧倒的な戦力の差に、やむなく遼東半島を手放す日本。これを機にロシアを仮想敵国とみなし、賠償金の8割をつぎ込んで軍事力の増強を急ぐ。一方、台湾を手に入れた日本は、インフラ整備、産業振興、教
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日清戦争に勝利し、莫大な賠償金と、台湾、遼東半島を手に入れた日本。ところが、アジアでの南下政策をとるロシアは、ドイツ、フランスと組み、遼東半島を清に返還するように要求してくる。ロシアとの圧倒的な戦力の差に、やむなく遼東半島を手放す日本。これを機にロシアを仮想敵国とみなし、賠償金の8割をつぎ込んで軍事力の増強を急ぐ。一方、台湾を手に入れた日本は、インフラ整備、産業振興、教育振興で近代化を進め、初めての植民地統治に成功する。そのころ、朝鮮では、ロシア寄りの政権が樹立。国益のために朝鮮半島を勢力下に置きたい日本は、朝鮮をめぐりロシアと駆け引きを行うが、南下を止めることができない。そしてロシアは、ついに遼東半島の旅順、大連を清から租借、念願の不凍港を手に入れ、ハルビンまでの鉄道も建設することになる。迫りくるロシアに、日本との緊張が高まっていく。
明治31年、帝国主義の列強は日清戦争の賠償金を清に貸し付けることで「租借地」を獲得。中国の分割統治に動きはじめていた。その清へ「漫遊」と称し旅をした伊藤博文。時の皇帝と謁見した直後、伊藤が目にしたのは西太后のクーデターとも言える政変だった。国内政治も揺れていた。日本の憲政史上初の政党内閣「隈板内閣」は成立からわずか4か月で解散。きっかけは文部大臣の演説だった。大政奉還か
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明治31年、帝国主義の列強は日清戦争の賠償金を清に貸し付けることで「租借地」を獲得。中国の分割統治に動きはじめていた。その清へ「漫遊」と称し旅をした伊藤博文。時の皇帝と謁見した直後、伊藤が目にしたのは西太后のクーデターとも言える政変だった。国内政治も揺れていた。日本の憲政史上初の政党内閣「隈板内閣」は成立からわずか4か月で解散。きっかけは文部大臣の演説だった。大政奉還から31年の時が過ぎ…徳川慶喜と明治天皇が顔を合わせた。政権交代の主役二人は何を話したのか?西郷隆盛は上野で銅像になり「維新」は歴史になりつつあった。1900年という新時代を前に変わりゆく明治32年までを取り上げる。
今回は明治33年から36年。日露戦争開戦前夜に迫る!明治36年、満州を不法に占拠するロシア軍は、さらに朝鮮半島へと南下する動きを見せる…。南下を恐れる日本政府がとった行動とは?なぜ、日露戦争が開戦に至ったのか?その真相とは!?
今回は明治33年から36年。日露戦争開戦前夜に迫る!明治36年、満州を不法に占拠するロシア軍は、さらに朝鮮半島へと南下する動きを見せる…。南下を恐れる日本政府がとった行動とは?なぜ、日露戦争が開戦に至ったのか?その真相とは!?
明治37年2月、朝鮮半島の利権をめぐり「日露戦争」が勃発。日本は、ちょうど10年前の「日清戦争」に勝利したとはいえ、軍事力では足元にもおよばない大国・ロシアとの戦争に踏み切った理由は何だったのか?あらゆる作戦を練り、ロシアに立ち向かった日本。しかし、ロシア軍の一大拠点となっていた「旅順」はなかなか陥落できず…その時、海軍・東郷平八郎、陸軍・乃木希典がとった行動とは!?激戦を繰り広げている中、あの「バルチック艦隊」が徐々に日本に近づいていました。
明治37年2月、朝鮮半島の利権をめぐり「日露戦争」が勃発。日本は、ちょうど10年前の「日清戦争」に勝利したとはいえ、軍事力では足元にもおよばない大国・ロシアとの戦争に踏み切った理由は何だったのか?あらゆる作戦を練り、ロシアに立ち向かった日本。しかし、ロシア軍の一大拠点となっていた「旅順」はなかなか陥落できず…その時、海軍・東郷平八郎、陸軍・乃木希典がとった行動とは!?激戦を繰り広げている中、あの「バルチック艦隊」が徐々に日本に近づいていました。
日露戦争が決着する明治38年。戦いの舞台は陸から海へと移ります。当時、世界最強とうたわれたロシアの「バルチック艦隊」に対するのは、明治になって組織されたばかりの日本の「連合艦隊」。司令長官の東郷平八郎がとった奇策とは?日露戦争の講和会議には、誰が日本代表として臨むのか?伊藤博文の思惑が働きます。ようやくまとめた「ポーツマス条約」の内容に民衆が反発。何が気に入らないのでしょうか?後年までさまざまな影響を及ぼす、日露戦争の教科書には載らない裏側に迫ります。
日露戦争が決着する明治38年。戦いの舞台は陸から海へと移ります。当時、世界最強とうたわれたロシアの「バルチック艦隊」に対するのは、明治になって組織されたばかりの日本の「連合艦隊」。司令長官の東郷平八郎がとった奇策とは?日露戦争の講和会議には、誰が日本代表として臨むのか?伊藤博文の思惑が働きます。ようやくまとめた「ポーツマス条約」の内容に民衆が反発。何が気に入らないのでしょうか?後年までさまざまな影響を及ぼす、日露戦争の教科書には載らない裏側に迫ります。
明治38年、日露戦争で勝利した日本は、ロシアが清から租借していた遼東半島の旅順、大連と、鉄道の権利を譲り受け、本格的に大陸進出へと乗り出す。政府が資本金の半分を出資し、南満州鉄道株式会社を設立。鉄道運営のほか、都市開発、鉱山開発など、総合的な満州開発の基盤をつくる。一方、韓国とは3回にわたって協約を結び、外交を代行し、内政も監督指導することで、保護国化を進めていく。韓国
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明治38年、日露戦争で勝利した日本は、ロシアが清から租借していた遼東半島の旅順、大連と、鉄道の権利を譲り受け、本格的に大陸進出へと乗り出す。政府が資本金の半分を出資し、南満州鉄道株式会社を設立。鉄道運営のほか、都市開発、鉱山開発など、総合的な満州開発の基盤をつくる。一方、韓国とは3回にわたって協約を結び、外交を代行し、内政も監督指導することで、保護国化を進めていく。韓国の保護国化政策の責任者、韓国統監の伊藤博文は、いずれ韓国を自立させることを目標にし、韓国の皇太子を日本に留学させ、将来の指導者にふさわしい教育を受けさせるなど尽力していた。しかし、国内では、韓国を併合すべきという意見が次第に強くなり、伊藤は孤立していく。明治42年、併合派を抑えていた伊藤が、ついに韓国統監の職を辞し、政府は韓国併合を閣議決定。そして日韓の歴史に大きな影響を与えた事件が…
日本を近代国家に押し上げた一人、伊藤博文が暗殺される。明治時代を築いた伊藤博文とは、どんな人物だったのか?伊藤亡きあと、政府は大韓帝国を日本領とする「韓国併合」を実施。一体どのようにして併合はおこなわれたのか?さらに、政府の悲願だった不平等条約の改正に成功!条約改正に同意したアメリカの思惑とは!?
日本を近代国家に押し上げた一人、伊藤博文が暗殺される。明治時代を築いた伊藤博文とは、どんな人物だったのか?伊藤亡きあと、政府は大韓帝国を日本領とする「韓国併合」を実施。一体どのようにして併合はおこなわれたのか?さらに、政府の悲願だった不平等条約の改正に成功!条約改正に同意したアメリカの思惑とは!?
明治45年、中国で大きな動きが…およそ300年続いた「清」が滅亡。孫文を中心とした辛亥革命により「中華民国」が誕生します。時を同じくして、日本では一つの時代が終わりを迎えます。明治天皇崩御…日本中が深い悲しみに包まれました。激動の時代を生き抜いた天皇には、心残りがあったと言われています。それは一体何だったのでしょうか?「明治」から「大正」へ…時代の移り変わりの狭間にあった謎に迫ります。
明治45年、中国で大きな動きが…およそ300年続いた「清」が滅亡。孫文を中心とした辛亥革命により「中華民国」が誕生します。時を同じくして、日本では一つの時代が終わりを迎えます。明治天皇崩御…日本中が深い悲しみに包まれました。激動の時代を生き抜いた天皇には、心残りがあったと言われています。それは一体何だったのでしょうか?「明治」から「大正」へ…時代の移り変わりの狭間にあった謎に迫ります。
今回は特別編。明治時代とはいったいどんな時代だったのか「不平等条約」をキーワードに総まとめする。ペリー来航から始まった開国への動きの中で、安政5年に幕府が列強と締結した不平等条約が、いわゆる「安政五カ国条約」だ。明治新政府はその不平等を解消するのに明治期のほぼすべての期間を費やすことになった。そもそも幕府はなぜ不平等な条約を結んでしまったのか?条約を結ぼうとする欧米列強
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今回は特別編。明治時代とはいったいどんな時代だったのか「不平等条約」をキーワードに総まとめする。ペリー来航から始まった開国への動きの中で、安政5年に幕府が列強と締結した不平等条約が、いわゆる「安政五カ国条約」だ。明治新政府はその不平等を解消するのに明治期のほぼすべての期間を費やすことになった。そもそも幕府はなぜ不平等な条約を結んでしまったのか?条約を結ぼうとする欧米列強と幕府とのやりとりとは?条約改正にはアジアをめぐる欧米列強の思惑が深く絡んでいた…治外法権の撤廃と関税自主権の回復、二つの不平等の改正に取り組んだ明治政府の50年以上にわたる道のりをたどる。
明治時代の45年を懸けた最重要課題が「近代化」です。幕末に次々とやってきては不平等条約を結ばされる欧米列強に対抗するためには、一刻も早く、彼らと肩を並べる近代国家になる必要がありました。今回は「近代化の道のり」を一気にたどる特別編です。1に「軍事力」、2に「経済力」、3に「法律」。幕末には「ちょんまげに刀」だった日本が、一体どのようにして、わずか45年で、ロシアに勝つまでの近代国家になったのでしょうか?大久保利通、伊藤博文、山縣有朋らが奔走する明治の近代化をたどります。
明治時代の45年を懸けた最重要課題が「近代化」です。幕末に次々とやってきては不平等条約を結ばされる欧米列強に対抗するためには、一刻も早く、彼らと肩を並べる近代国家になる必要がありました。今回は「近代化の道のり」を一気にたどる特別編です。1に「軍事力」、2に「経済力」、3に「法律」。幕末には「ちょんまげに刀」だった日本が、一体どのようにして、わずか45年で、ロシアに勝つまでの近代国家になったのでしょうか?大久保利通、伊藤博文、山縣有朋らが奔走する明治の近代化をたどります。
日本が近代国家となった明治時代をテーマごとにおさらい!今回は、どのようにして江戸幕府が滅び明治新政府が誕生したのか、近代国家日本の幕開けに迫ります。大政奉還の意外な事実から、西郷隆盛と勝海舟が行った江戸城無血開城の裏側、そして戊辰戦争のゆくえまで…現在の日本につながるその幕開けとはどのようにして起こったのか!?
日本が近代国家となった明治時代をテーマごとにおさらい!今回は、どのようにして江戸幕府が滅び明治新政府が誕生したのか、近代国家日本の幕開けに迫ります。大政奉還の意外な事実から、西郷隆盛と勝海舟が行った江戸城無血開城の裏側、そして戊辰戦争のゆくえまで…現在の日本につながるその幕開けとはどのようにして起こったのか!?
今回は維新の三傑。徳川幕府討幕の主力を担った薩摩藩の重鎮「西郷隆盛」。明治政府ができると西郷は「廃藩置県」・「徴兵制」など、さまざまな改革を推し進めていきます。しかし、明治維新により新しい日本をつくった西郷が、自らつくった明治政府と戦い、命を落としてしまいます。それはいったいなぜなのか?
今回は維新の三傑。徳川幕府討幕の主力を担った薩摩藩の重鎮「西郷隆盛」。明治政府ができると西郷は「廃藩置県」・「徴兵制」など、さまざまな改革を推し進めていきます。しかし、明治維新により新しい日本をつくった西郷が、自らつくった明治政府と戦い、命を落としてしまいます。それはいったいなぜなのか?
今回は近代化の支柱、骨格である大日本帝国憲法をつくった「伊藤博文」。農民の子として生まれ、足軽の養子に…長州五傑でイギリスへ留学。明治政府の最重要課題は、列強と肩を並べるための「近代化」。そのための「政府の仕組みづくり」にとりかかるが…
今回は近代化の支柱、骨格である大日本帝国憲法をつくった「伊藤博文」。農民の子として生まれ、足軽の養子に…長州五傑でイギリスへ留学。明治政府の最重要課題は、列強と肩を並べるための「近代化」。そのための「政府の仕組みづくり」にとりかかるが…
明治になって初めて外国と戦った日清戦争。なぜ「眠れる獅子」といわれる大国、清と戦火を交えることになったのか?近代化を進めていた日本に、どんな影響を与えたのか?
明治になって初めて外国と戦った日清戦争。なぜ「眠れる獅子」といわれる大国、清と戦火を交えることになったのか?近代化を進めていた日本に、どんな影響を与えたのか?
明治時代最大の戦いとなった「日露戦争」。日本は当時大国だったロシアと、なぜ戦争をすることになったのか?戦力、資金も膨大なロシアと、どのようにして戦ったのか?そこには終戦工作を行うなど、様々な戦略があった…。日本が帝国主義国家として歩んでいくキッカケともなった「日露戦争」に迫ります。
明治時代最大の戦いとなった「日露戦争」。日本は当時大国だったロシアと、なぜ戦争をすることになったのか?戦力、資金も膨大なロシアと、どのようにして戦ったのか?そこには終戦工作を行うなど、様々な戦略があった…。日本が帝国主義国家として歩んでいくキッカケともなった「日露戦争」に迫ります。
江戸から明治への時代の転換期に、わずか14才で即位した明治天皇。45年の治世において最も信頼した人物は、伊藤博文だった!?天皇は伊藤をどのように評価していたのか?日清、日露、明治時代の二度の対外戦争を明治天皇はどのようにとらえていたのか?日本が近代国家へと生まれ変わる激動の時代に明治天皇が果たした役割とは…?
江戸から明治への時代の転換期に、わずか14才で即位した明治天皇。45年の治世において最も信頼した人物は、伊藤博文だった!?天皇は伊藤をどのように評価していたのか?日清、日露、明治時代の二度の対外戦争を明治天皇はどのようにとらえていたのか?日本が近代国家へと生まれ変わる激動の時代に明治天皇が果たした役割とは…?
明治時代をまとめる特別編、今回のテーマは「近代日本の帝国主義の歩み」。ペリー来航による開国から、わずか50年ほどの間に日本は日清戦争・日露戦争と、2度の戦争を経験する国に変貌した。そこには列強が示した「帝国主義」が大きく関わっている。アヘン戦争をはじめ、岩倉使節団の渡欧など、帝国主義を目の当りにした明治政府は、列強の後を追うように「西洋の帝国主義」を取り入れていく。サム
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明治時代をまとめる特別編、今回のテーマは「近代日本の帝国主義の歩み」。ペリー来航による開国から、わずか50年ほどの間に日本は日清戦争・日露戦争と、2度の戦争を経験する国に変貌した。そこには列強が示した「帝国主義」が大きく関わっている。アヘン戦争をはじめ、岩倉使節団の渡欧など、帝国主義を目の当りにした明治政府は、列強の後を追うように「西洋の帝国主義」を取り入れていく。サムライの軍隊から近代化された天皇直属の軍隊へ。近代日本の帝国主義はどのようにして生まれ、明治政府にどのような影響を与えていったのか…その歩みをたどる。
前回に続き、2回に渡ってふりかえる「近代日本の帝国主義の歩み」。今回は後編。軍隊の近代化を整えた日本が、いよいよ海外へ領土を広げようと戦争を重ね、帝国主義にグッと傾いていく、明治時代後半です。日本が初めて他国を統治したのは「台湾」。そう上手くはいきません。そして「韓国」「満州」へと、日本は支配を進めていきます。ますます力を持つ軍部、加速する帝国主義…大正、昭和の大戦へと繋がっていくのです。
前回に続き、2回に渡ってふりかえる「近代日本の帝国主義の歩み」。今回は後編。軍隊の近代化を整えた日本が、いよいよ海外へ領土を広げようと戦争を重ね、帝国主義にグッと傾いていく、明治時代後半です。日本が初めて他国を統治したのは「台湾」。そう上手くはいきません。そして「韓国」「満州」へと、日本は支配を進めていきます。ますます力を持つ軍部、加速する帝国主義…大正、昭和の大戦へと繋がっていくのです。
いよいよ大正時代に突入!大正天皇即位後すぐに軍部が独走…。民衆は立ち上がり「第一次護憲運動」が広がります。その行方は!?一方、アメリカでは排日の動きが…。一体何が起こったのか!?さらに、全世界を巻き込むことになる「第一次世界大戦」が開戦。そのきっかけは、サラエボの街で起こった一つの事件だった。どうして、この事件が大きな戦争へとつながってしまうのか?開戦前夜に迫ります!
いよいよ大正時代に突入!大正天皇即位後すぐに軍部が独走…。民衆は立ち上がり「第一次護憲運動」が広がります。その行方は!?一方、アメリカでは排日の動きが…。一体何が起こったのか!?さらに、全世界を巻き込むことになる「第一次世界大戦」が開戦。そのきっかけは、サラエボの街で起こった一つの事件だった。どうして、この事件が大きな戦争へとつながってしまうのか?開戦前夜に迫ります!
サラエボで起こったオーストリア皇太子夫妻暗殺事件をキッカケに始まった第一次世界大戦。ドイツ、フランス、イギリス、ロシアなどヨーロッパ全土を巻き込む戦争に発展していきます。塹壕戦になり、戦線が膠着する中、様々な新兵器が登場していきます。そして、日本もドイツに宣戦布告し、ついに戦争に参加。なぜ遠いヨーロッパの戦争に参加することになったのでしょうか?その裏には、中国へのある野望がありました。
サラエボで起こったオーストリア皇太子夫妻暗殺事件をキッカケに始まった第一次世界大戦。ドイツ、フランス、イギリス、ロシアなどヨーロッパ全土を巻き込む戦争に発展していきます。塹壕戦になり、戦線が膠着する中、様々な新兵器が登場していきます。そして、日本もドイツに宣戦布告し、ついに戦争に参加。なぜ遠いヨーロッパの戦争に参加することになったのでしょうか?その裏には、中国へのある野望がありました。
大正3年(1914年)に勃発した第一次世界大戦は、予想に反して拡大化、長期化の様相をみせていく。1915年、ドイツ・オーストリアと同盟を結んでいたイタリアは、これを破棄して連合国側で参戦。そのころ日本では、大正天皇の即位の礼が執り行われる。この時に確立された神道の儀式が、昭和・平成・令和まで引き継がれている。ヨーロッパでは、第一次世界大戦最大の海戦と最大の陸戦が繰り広げ
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大正3年(1914年)に勃発した第一次世界大戦は、予想に反して拡大化、長期化の様相をみせていく。1915年、ドイツ・オーストリアと同盟を結んでいたイタリアは、これを破棄して連合国側で参戦。そのころ日本では、大正天皇の即位の礼が執り行われる。この時に確立された神道の儀式が、昭和・平成・令和まで引き継がれている。ヨーロッパでは、第一次世界大戦最大の海戦と最大の陸戦が繰り広げられ、お互いに多くの戦死者と損害を出す消耗戦となっていく。疲弊するヨーロッパと対照的に、日本は輸出が倍増し、鉄鋼や石炭の生産が急激に伸びていき、空前の好景気が訪れる。国民の生活も変わり、普通選挙の実施や労働運動、女性運動など権利や社会の改善を求める風潮が高まる。文化芸術でも、西洋文化の影響を受けた新しい動きが生まれる。のちに大正デモクラシー、大正ロマンと呼ばれる社会の変化が、好景気を背景に盛んになっていく。
今回は第一次世界大戦が3年目に突入した大正6年から。日本海軍が地中海に派遣されヨーロッパ戦線に参戦する。その地中海で犠牲者を出したことはあまり知られていない。陸軍の欧州参戦を拒んできた日本はなぜ地中海で参戦したのか。そしてアメリカが参戦を表明。キッカケとなった「暗号電報」とは。さらにロシアでは2度の革命により世界初の社会主義政権・ソビエトが誕生。大戦撤退で戦況は大きく動
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今回は第一次世界大戦が3年目に突入した大正6年から。日本海軍が地中海に派遣されヨーロッパ戦線に参戦する。その地中海で犠牲者を出したことはあまり知られていない。陸軍の欧州参戦を拒んできた日本はなぜ地中海で参戦したのか。そしてアメリカが参戦を表明。キッカケとなった「暗号電報」とは。さらにロシアでは2度の革命により世界初の社会主義政権・ソビエトが誕生。大戦撤退で戦況は大きく動き出す。好景気の続く日本ではコロッケの歌、カチューシャの歌などが大ヒット。大正ロマンが花開く。アラビアのロレンスが暗躍し、ラスプーチンが混乱を引き起こした激動の1年を紐解く。
大正7年から9年にかけて、世界中で大流行した「スペイン風邪(スペイン・インフルエンザ)」。日本だけでも国民の約40%が感染し、約39万人が亡くなったと言われています。爆発的に広まった感染症は、一体、世界に何をもたらしたのか!?そして、日本国内では、どのような対応を行ったのか!?今回は、現在のコロナ禍にも通じる「スペイン風邪」パンデミックに迫ります。
大正7年から9年にかけて、世界中で大流行した「スペイン風邪(スペイン・インフルエンザ)」。日本だけでも国民の約40%が感染し、約39万人が亡くなったと言われています。爆発的に広まった感染症は、一体、世界に何をもたらしたのか!?そして、日本国内では、どのような対応を行ったのか!?今回は、現在のコロナ禍にも通じる「スペイン風邪」パンデミックに迫ります。
大正3年に始まった第一次世界大戦もついに四年目に突入。ドイツ軍はイギリス、フランスとにらみ合っていた西部戦線で大攻勢をしかけます。しかし…180万人をこえるアメリカ軍の登場により戦況は一変。窮地に立たされたドイツは、アメリカと和平交渉を試みることになるのですが…なぜアメリカだったのでしょうか?一方、日本では物価高騰による「米騒動」が勃発。その影響で、首相となったのが、平
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大正3年に始まった第一次世界大戦もついに四年目に突入。ドイツ軍はイギリス、フランスとにらみ合っていた西部戦線で大攻勢をしかけます。しかし…180万人をこえるアメリカ軍の登場により戦況は一変。窮地に立たされたドイツは、アメリカと和平交渉を試みることになるのですが…なぜアメリカだったのでしょうか?一方、日本では物価高騰による「米騒動」が勃発。その影響で、首相となったのが、平民宰相と呼ばれた原敬でした。平民だった原敬はなぜ首相にまで上り詰めることができたのでしょうか?今回は、第一次世界大戦が終結した大正7年を紐解きます。
4年半にわたって世界を巻き込んだ第一次世界大戦が終結し、大正8年(1919)にフランス・パリで戦勝国によるパリ講和会議が開催される。アジアから参戦し、大国と認められた日本は、主要5か国のひとつとして参加。会議ではドイツへの賠償金と領土割譲をめぐり、アメリカとフランスの主張が対立。お互いに譲らず、議論が続くなか、アメリカ大統領を襲ったある出来事が、その後の世界に大きく影響
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4年半にわたって世界を巻き込んだ第一次世界大戦が終結し、大正8年(1919)にフランス・パリで戦勝国によるパリ講和会議が開催される。アジアから参戦し、大国と認められた日本は、主要5か国のひとつとして参加。会議ではドイツへの賠償金と領土割譲をめぐり、アメリカとフランスの主張が対立。お互いに譲らず、議論が続くなか、アメリカ大統領を襲ったある出来事が、その後の世界に大きく影響することになる。そんな中で日本は、大戦でドイツから奪った中国と南洋諸島の利権を獲得することに成功する。そして講和会議の結果を受けて、ドイツとの間でベルサイユ条約が調印される。領土の割譲と多額の賠償金を課せられたドイツは疲弊し、社会不安が増大するなかで、ヒトラーが登場する。一方アジアでは、アメリカのウィルソン大統領が提唱した民族自決に触発され、朝鮮、中国で、日本の影響力を排除しようとする民衆運動が発生する。
第一次世界大戦の終結後、世界では史上初の国際平和機構「国際連盟」がつくられます。日本は4か国の常任理事国のひとつとなりますが…慣れていない世界の大舞台、どのように立ち回るのでしょうか!?国際連盟でもっとも活躍した日本人は、5千円札の肖像画で知られる「新渡戸稲造」って、ご存知でしたか!?第一次世界大戦が終結して1年半が経過しても、日本軍は未だにシベリアに駐留し続けます。そ
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第一次世界大戦の終結後、世界では史上初の国際平和機構「国際連盟」がつくられます。日本は4か国の常任理事国のひとつとなりますが…慣れていない世界の大舞台、どのように立ち回るのでしょうか!?国際連盟でもっとも活躍した日本人は、5千円札の肖像画で知られる「新渡戸稲造」って、ご存知でしたか!?第一次世界大戦が終結して1年半が経過しても、日本軍は未だにシベリアに駐留し続けます。そんな時、民間人を含む多くの日本人が犠牲になるという「尼港(にこう)事件」が起こります。なぜ惨劇は起こったのでしょうか…。日本に、第一次世界大戦後の混乱が広がる大正9年、10年。ついには、現職の総理大臣、原敬が暗殺されます。
アメリカ主導の新しい国際秩序作りが始まる!しかし、それは日本に対するアメリカのある思惑があった…。明治時代から日本政府を引っ張ってきた大隈重信と山縣有朋が相次いで逝去。2人の不思議な運命とは!?約4年に及んだ日本軍のシベリア出兵。しかし、何の成果を得ることもなく撤兵することに。その理由とは!?今回は激動の大正10年~11年。
アメリカ主導の新しい国際秩序作りが始まる!しかし、それは日本に対するアメリカのある思惑があった…。明治時代から日本政府を引っ張ってきた大隈重信と山縣有朋が相次いで逝去。2人の不思議な運命とは!?約4年に及んだ日本軍のシベリア出兵。しかし、何の成果を得ることもなく撤兵することに。その理由とは!?今回は激動の大正10年~11年。
第一次世界大戦敗戦の影響でドイツではハイパーインフレが発生!パンの値段が1年間で約16億倍に跳ね上がる事態に!一方、日本では首都東京で未曾有の大災害 関東大震災が発生!各地で火災旋風が起き、死者・行方不明者約10万人にも及びました。半分以上が焼け野原になった首都東京、一体どのように復興したのでしょうか?
第一次世界大戦敗戦の影響でドイツではハイパーインフレが発生!パンの値段が1年間で約16億倍に跳ね上がる事態に!一方、日本では首都東京で未曾有の大災害 関東大震災が発生!各地で火災旋風が起き、死者・行方不明者約10万人にも及びました。半分以上が焼け野原になった首都東京、一体どのように復興したのでしょうか?
関東大震災で壊滅的な被害を受けた東京。今回は復興が進む大正13年から。震災のため延期されていた裕仁皇太子(当時)のご成婚という明るい話題から年は始まる。皇太子時代から裕仁親王が考えていた「新しい皇室」とは?驚異的なスピードで復興が進む銀座では装飾を施した「バラック建築」というモダンな建物が登場する一方で、魚河岸の移転をめぐる暴動が起きた。中国では清朝最後の皇帝・溥儀を日本が預かることに。
関東大震災で壊滅的な被害を受けた東京。今回は復興が進む大正13年から。震災のため延期されていた裕仁皇太子(当時)のご成婚という明るい話題から年は始まる。皇太子時代から裕仁親王が考えていた「新しい皇室」とは?驚異的なスピードで復興が進む銀座では装飾を施した「バラック建築」というモダンな建物が登場する一方で、魚河岸の移転をめぐる暴動が起きた。中国では清朝最後の皇帝・溥儀を日本が預かることに。
いよいよ15年間の大正時代がおわります。しかし治安維持法が成立したばかりの日本は不穏な情勢に…。全国の学校に現役の軍人が配属され軍事訓練を始めます。なぜそんなことになってしまったのか…?これに反対する学生たちが、初の治安維持法適用となり、口をふさがれます。政府による弾圧、陸軍による軍国主義化が加速する中、大正15年の年末、大正天皇が47歳で崩御。即位した裕仁天皇の亡き父に対する想いとは…。
いよいよ15年間の大正時代がおわります。しかし治安維持法が成立したばかりの日本は不穏な情勢に…。全国の学校に現役の軍人が配属され軍事訓練を始めます。なぜそんなことになってしまったのか…?これに反対する学生たちが、初の治安維持法適用となり、口をふさがれます。政府による弾圧、陸軍による軍国主義化が加速する中、大正15年の年末、大正天皇が47歳で崩御。即位した裕仁天皇の亡き父に対する想いとは…。
大正の15年間を総まとめ!明治時代に日清・日露戦勝に勝利し、帝国主義へと走り出した日本。これらの勝利により、大正は明治から何を受け継ぎ、どんなレールが敷かれ昭和の大きな戦争へとなだれ込んだのか?今回は、「大正時代に敷かれた昭和のレール」なかでも、「昭和に影響を与える満州」を中心に見ていきます。
大正の15年間を総まとめ!明治時代に日清・日露戦勝に勝利し、帝国主義へと走り出した日本。これらの勝利により、大正は明治から何を受け継ぎ、どんなレールが敷かれ昭和の大きな戦争へとなだれ込んだのか?今回は、「大正時代に敷かれた昭和のレール」なかでも、「昭和に影響を与える満州」を中心に見ていきます。
帝国主義で外へ、外へと向かう日本は第一次世界大戦に参戦、大戦景気で大いに盛り上がります。一方で海外から入ってきた思想や文化は国民の意識を大きく変えることになります。大正から昭和へ…激動の時代の移り変わりを「日本の国際化」から見ていきます。
帝国主義で外へ、外へと向かう日本は第一次世界大戦に参戦、大戦景気で大いに盛り上がります。一方で海外から入ってきた思想や文化は国民の意識を大きく変えることになります。大正から昭和へ…激動の時代の移り変わりを「日本の国際化」から見ていきます。
大正15年(1926)12月25日、大正天皇が崩御し、裕仁皇太子が即位。元号が昭和に変わる。昭和元年の7日間にはどのような出来事があったのかを振り返る。昭和2年3月には、大蔵大臣の失言がきっかけで、銀行に預金者が殺到する取り付け騒ぎとなり、中小の銀行が次々に休業に追い込まれる金融恐慌が発生。社会不安が高まっていく。一方で、日米関係が悪化していく中、子どもたちに国際友好の
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大正15年(1926)12月25日、大正天皇が崩御し、裕仁皇太子が即位。元号が昭和に変わる。昭和元年の7日間にはどのような出来事があったのかを振り返る。昭和2年3月には、大蔵大臣の失言がきっかけで、銀行に預金者が殺到する取り付け騒ぎとなり、中小の銀行が次々に休業に追い込まれる金融恐慌が発生。社会不安が高まっていく。一方で、日米関係が悪化していく中、子どもたちに国際友好の意識を育んでもらいたいと、青い目の人形がアメリカから贈られる。親善のしるしとして全国の小学校や幼稚園に配られた人形は、やがて戦争の時代に翻弄されていく。中国では内戦が激化し、邦人保護を名目に昭和に入って初めて軍隊が派遣される。そして、その後の満州政策について政府、外務省、軍部による東方会議が開かれる。会議では、満州へ軍事力行使も含め積極的に進出するという、その後の日本の命運を左右する決定が下される。
今回は昭和2年秋から。大正から昭和へ時代が変わると中国・満州では不穏な空気が流れ始める。蒋介石が中国統一を目指し北京へ向かう「北伐」を再開。これに対し日本人居留民を保護する名目で日本は山東半島へ再び軍を派兵、ついに武力衝突が起きてしまう。一方、国内では東洋初の地下鉄が開業し、「職業婦人」が注目されていた。また普通選挙法による男子普通選挙が初めて行われたが、その結果は政府
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今回は昭和2年秋から。大正から昭和へ時代が変わると中国・満州では不穏な空気が流れ始める。蒋介石が中国統一を目指し北京へ向かう「北伐」を再開。これに対し日本人居留民を保護する名目で日本は山東半島へ再び軍を派兵、ついに武力衝突が起きてしまう。一方、国内では東洋初の地下鉄が開業し、「職業婦人」が注目されていた。また普通選挙法による男子普通選挙が初めて行われたが、その結果は政府が予想しない結果だった…。昭和3年6月、張作霖が蒋介石との衝突を避け北京から離れる途中、奉天で列車ごと爆殺される事件が起きる。激動の昭和の幕開けとも言える爆殺事件には満州統治に対する思惑が複雑に絡み合っていた。
今回は、戦争への不穏な空気が流れ始める昭和3年後半。関東軍が独断で行った張作霖爆殺事件。政府の意向を無視した軍の行動が波紋を呼ぶことに…。一方、国内では治安維持法が強引に改正されず。政府の狙いとは一体!?昭和3年の終わりには、昭和天皇の即位の礼が執り行われます。この時誕生したあるものとは…。
今回は、戦争への不穏な空気が流れ始める昭和3年後半。関東軍が独断で行った張作霖爆殺事件。政府の意向を無視した軍の行動が波紋を呼ぶことに…。一方、国内では治安維持法が強引に改正されず。政府の狙いとは一体!?昭和3年の終わりには、昭和天皇の即位の礼が執り行われます。この時誕生したあるものとは…。
今回は…満州事変の足音が聞こえつつある昭和4年。陸軍中堅将校らがまとまり、満州への対応や陸軍改革を画策。また、張作霖爆殺事件の対応をめぐる昭和天皇の発言で内閣総辞職。後の昭和天皇の行動に与えた影響とは?一方、アメリカで起こった株価の大暴落。それは世界を巻き込む大恐慌に発展して行きます。
今回は…満州事変の足音が聞こえつつある昭和4年。陸軍中堅将校らがまとまり、満州への対応や陸軍改革を画策。また、張作霖爆殺事件の対応をめぐる昭和天皇の発言で内閣総辞職。後の昭和天皇の行動に与えた影響とは?一方、アメリカで起こった株価の大暴落。それは世界を巻き込む大恐慌に発展して行きます。
NY株価大暴落に端を発する恐慌が、まさに日本に迫ろうとしている昭和5年。大蔵省出身でいわば金融のプロ、浜口雄幸首相がとる経済政策が、まさかのさらなる景気悪化を招き、人々のくらしは困窮します。さらに、海軍の軍縮を推し進めたい「政府」と、少しも軍備を縮小したくない「軍部」が真っ向から対立。矢面に立ち奔走する浜口首相が、ついには東京駅で狙撃されます。公然とふるわれる暴力、軍部の暴走…日本が暗い時代へと進み始めます。
NY株価大暴落に端を発する恐慌が、まさに日本に迫ろうとしている昭和5年。大蔵省出身でいわば金融のプロ、浜口雄幸首相がとる経済政策が、まさかのさらなる景気悪化を招き、人々のくらしは困窮します。さらに、海軍の軍縮を推し進めたい「政府」と、少しも軍備を縮小したくない「軍部」が真っ向から対立。矢面に立ち奔走する浜口首相が、ついには東京駅で狙撃されます。公然とふるわれる暴力、軍部の暴走…日本が暗い時代へと進み始めます。
昭和恐慌の影響で、各地で労働争議が頻発していた昭和5年、紡績工場の煙突の上に男が立てこもり、労働者を支援する演説を繰り返す事件が発生。煙突男として話題となる。翌昭和6年、帝国議会での「満蒙は日本の生命線」という発言が流行語となり、不況の打破のために新天地満州への進出を国民が支持するようになる。その流れに乗り陸軍は、軍事力による満州占有の計画を策定。その一方で陸軍の一部の
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昭和恐慌の影響で、各地で労働争議が頻発していた昭和5年、紡績工場の煙突の上に男が立てこもり、労働者を支援する演説を繰り返す事件が発生。煙突男として話題となる。翌昭和6年、帝国議会での「満蒙は日本の生命線」という発言が流行語となり、不況の打破のために新天地満州への進出を国民が支持するようになる。その流れに乗り陸軍は、軍事力による満州占有の計画を策定。その一方で陸軍の一部の勢力が、軍事政権樹立を目指すクーデターを計画。未遂に終わったものの、この後陸軍のクーデターが繰り返されるようになる。満州では朝鮮人と中国人が衝突、さらに日本の陸軍大尉が中国軍に殺害される事件が続くなかで、関東軍が軍事行動を実行に移そうとする。これを抑えようとする陸軍幹部、政府、そして宮中も巻き込む駆け引きが行われるなか、ついに関東軍が満州事変へと発展する実力行使を行う。
柳条湖事件をきっかけに満州事変が勃発。関東軍は戦線を拡大する中、政府は不拡大方針を決定。関東軍と政府の思惑の違いは、どうなるのか?一方、南京政府の蒋介石は、軍事行動ではなく国際連盟に提訴することで日本に対抗。果たして国連総会の行方は…。さらに、関東軍は「満洲国」建国のため溥儀の天津から満州への脱出を画策。その作戦とは…。日本の歴史が大きく動き出した昭和6年の後半です。
柳条湖事件をきっかけに満州事変が勃発。関東軍は戦線を拡大する中、政府は不拡大方針を決定。関東軍と政府の思惑の違いは、どうなるのか?一方、南京政府の蒋介石は、軍事行動ではなく国際連盟に提訴することで日本に対抗。果たして国連総会の行方は…。さらに、関東軍は「満洲国」建国のため溥儀の天津から満州への脱出を画策。その作戦とは…。日本の歴史が大きく動き出した昭和6年の後半です。
年を越しても続く満州事変の中で、戦争を嫌う天皇が関東軍に勅語を下賜。どのような思いだったのでしょうか?一方で上海でも事変が勃発。報道により広がる軍国美談は国民の意識に少しずつ変化をもたらしていきます…。さらに、国内では天皇や政財界の大物を狙ったテロ事件が相次ぎました。背景にあるものとは?今回は…満洲国建国を目前に控えた昭和7年の前半です。
年を越しても続く満州事変の中で、戦争を嫌う天皇が関東軍に勅語を下賜。どのような思いだったのでしょうか?一方で上海でも事変が勃発。報道により広がる軍国美談は国民の意識に少しずつ変化をもたらしていきます…。さらに、国内では天皇や政財界の大物を狙ったテロ事件が相次ぎました。背景にあるものとは?今回は…満洲国建国を目前に控えた昭和7年の前半です。
満州に日本の意のままとなる国家をつくるため謀略をめぐらせる関東軍。今回はそうした中で「満洲国」が建国された昭和7年2月から3月の1か月間を詳しく取り上げる。関東軍は建国を急いだ…その理由の一つが国連の派遣したリットン調査団の来日だ。満州事変の調査をするリットン調査団を日本は連日接待。その時の「領収書」が平成になって発見された。その驚くべき内容とは?満洲国トップに担ぎ出さ
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満州に日本の意のままとなる国家をつくるため謀略をめぐらせる関東軍。今回はそうした中で「満洲国」が建国された昭和7年2月から3月の1か月間を詳しく取り上げる。関東軍は建国を急いだ…その理由の一つが国連の派遣したリットン調査団の来日だ。満州事変の調査をするリットン調査団を日本は連日接待。その時の「領収書」が平成になって発見された。その驚くべき内容とは?満洲国トップに担ぎ出されたのは清国最後の皇帝・溥儀。彼は満洲国のトップに就いた時、何を感じたのか…。そして建国された「満洲国」とはいったいどんな国だったのか。当時の関東軍人から直接、保阪氏が聞いた満洲国建国の舞台裏とは…
犬養毅首相が銃撃される「五・一五事件」。海軍、陸軍の青年将校たちは、なぜ犬養首相を狙ったのでしょうか。実行犯たちと対峙した犬養首相の最期の様子とは…。事件後の公判で、実行犯たちは世間から”英雄視”され、全国で猛烈な減刑嘆願運動が起こります。暴力が正当化される、その異様な事態のワケとは…。実は五・一五事件の前日に、チャップリンが来日。五・一五事件の標的にされながら、すんでのところで難を逃れます。チャップリンに何が起こったのでしょうか…?
犬養毅首相が銃撃される「五・一五事件」。海軍、陸軍の青年将校たちは、なぜ犬養首相を狙ったのでしょうか。実行犯たちと対峙した犬養首相の最期の様子とは…。事件後の公判で、実行犯たちは世間から”英雄視”され、全国で猛烈な減刑嘆願運動が起こります。暴力が正当化される、その異様な事態のワケとは…。実は五・一五事件の前日に、チャップリンが来日。五・一五事件の標的にされながら、すんでのところで難を逃れます。チャップリンに何が起こったのでしょうか…?
今回は昭和7年後半。日本が満洲国を国家として正式に承認します。しかし、そもそも満洲国は日本が主導してできた国。なぜ、わざわざ承認する必要があったのでしょう?そんな中、満州事変の実情調査を行っていたリットン調査団の報告書が公表されます。しかし、その内容は、日本に対して意外なほど妥協的なものでした。一体、なぜなのでしょうか!?
今回は昭和7年後半。日本が満洲国を国家として正式に承認します。しかし、そもそも満洲国は日本が主導してできた国。なぜ、わざわざ承認する必要があったのでしょう?そんな中、満州事変の実情調査を行っていたリットン調査団の報告書が公表されます。しかし、その内容は、日本に対して意外なほど妥協的なものでした。一体、なぜなのでしょうか!?
建国したにも関わらず安定しない満洲国。日本は満洲国の一地域、熱河省に侵攻します。そして、国際連盟を脱退し世界から孤立を深める日本。この2つの動きの裏にある、政府、天皇、軍それぞれの思惑とは?一方、国内では大学教授の人事に政府が介入する滝川事件が起こります。学問の自由が問われた事件の顛末は?今回は昭和8年の前半です。
建国したにも関わらず安定しない満洲国。日本は満洲国の一地域、熱河省に侵攻します。そして、国際連盟を脱退し世界から孤立を深める日本。この2つの動きの裏にある、政府、天皇、軍それぞれの思惑とは?一方、国内では大学教授の人事に政府が介入する滝川事件が起こります。学問の自由が問われた事件の顛末は?今回は昭和8年の前半です。
日本が国際連盟から脱退した昭和8年、ドイツも国際連盟からの脱退を表明し、国際社会から孤立する道を歩み始める。首相に就任したヒトラーは、ナチスによる一党独裁体制を確立する一方で、アウトバーンの建設や国民車フォルクスワーゲンの開発で経済を立て直し、国民から高い支持を得ることに成功する。国内では軍部の主導により関東で初の防空演習が実施され、国家改造を目標とするクーデター計画も
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日本が国際連盟から脱退した昭和8年、ドイツも国際連盟からの脱退を表明し、国際社会から孤立する道を歩み始める。首相に就任したヒトラーは、ナチスによる一党独裁体制を確立する一方で、アウトバーンの建設や国民車フォルクスワーゲンの開発で経済を立て直し、国民から高い支持を得ることに成功する。国内では軍部の主導により関東で初の防空演習が実施され、国家改造を目標とするクーデター計画も発覚。社会不安が広まる中、それを吹き飛ばすような新しい音頭、「東京音頭」が登場。東京だけでなく、全国に広がり、盆踊りが大流行となる。皇室では、明仁皇太子が誕生。待望のお世継ぎ誕生に、国中が祝賀ムードに包まれ、奉祝歌も歌われる。満州では、満洲国が満洲帝国となり、溥儀が皇帝の座に就く。長年の願いがようやくかなった溥儀に突き付けられたのは、関東軍の言いなりにならなければ、自分では何もできないという厳しい現実だった。
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