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Temporada 1
永禄11年(1568)、和泉国・堺の町は織田信長に2万貫の矢銭(軍用金)を要求されますが、堺の自治組織・会合(えごう)衆がこれを拒んだため、6万の軍勢に町を包囲されます。堺の豪商・今井宗久と千宗易(利休)は信長の力を見抜き、名器・松島の葉茶壺(はちゃつぼ)を献上して、町を救おうと画策します。そして、宗久に同行して壺を届けるため、五右衛門、善住坊、助左(後の納屋助左衛門)の3人が選ばれます。
永禄11年(1568)、和泉国・堺の町は織田信長に2万貫の矢銭(軍用金)を要求されますが、堺の自治組織・会合(えごう)衆がこれを拒んだため、6万の軍勢に町を包囲されます。堺の豪商・今井宗久と千宗易(利休)は信長の力を見抜き、名器・松島の葉茶壺(はちゃつぼ)を献上して、町を救おうと画策します。そして、宗久に同行して壺を届けるため、五右衛門、善住坊、助左(後の納屋助左衛門)の3人が選ばれます。
今井宗久は、飛脚番の五右衛門、鍛冶師の善住坊、納屋番の助左を引き連れて、織田軍の包囲を突破し、摂津・芥川(あくたがわ)城を目指します。今井の館では、宗久の息子・兼久と養女の美緒が父・宗久を巡り言い争っています。宗久たち一行は、途中、今井の奉公人だった、しまの家に身を潜め、翌日、無事に信長と会います。名器の壺(つぼ)を献上する作戦は成功して、信長は堺が中立の立場でいることを条件に包囲を解きます。
今井宗久は、飛脚番の五右衛門、鍛冶師の善住坊、納屋番の助左を引き連れて、織田軍の包囲を突破し、摂津・芥川(あくたがわ)城を目指します。今井の館では、宗久の息子・兼久と養女の美緒が父・宗久を巡り言い争っています。宗久たち一行は、途中、今井の奉公人だった、しまの家に身を潜め、翌日、無事に信長と会います。名器の壺(つぼ)を献上する作戦は成功して、信長は堺が中立の立場でいることを条件に包囲を解きます。
助左は信長へ献上品を運んだ功績で、望みどおり今井の交易船・琉球丸で働きます。信長は将軍・足利義昭を残して、突然、引き揚げます。それは、堺の会合(えごう)衆が一枚岩でないため、阿波の三好と手を組むと読んだ信長は三好勢を誘い出し、会合衆に約束を破らせて堺を手中に収めるという罠(わな)でした。果たして、三好軍は堺で軍備を整えて京の義昭を襲いますが、織田の援軍に敗れます。堺は信長の前に全面的に屈服します。
助左は信長へ献上品を運んだ功績で、望みどおり今井の交易船・琉球丸で働きます。信長は将軍・足利義昭を残して、突然、引き揚げます。それは、堺の会合(えごう)衆が一枚岩でないため、阿波の三好と手を組むと読んだ信長は三好勢を誘い出し、会合衆に約束を破らせて堺を手中に収めるという罠(わな)でした。果たして、三好軍は堺で軍備を整えて京の義昭を襲いますが、織田の援軍に敗れます。堺は信長の前に全面的に屈服します。
天下統一をめざす織田信長と堺の経済力が手を結びました。今井宗久は鉄砲工場を造り、信長に協力します。信長が、上洛(じょうらく)しない浅倉義景の討伐日を、二条城落成日と同じ日に決めたため、宗久は息子・兼久に鉄砲5百丁を越前攻めの織田軍に届けるよう命じます。助左は、信長の鉄砲を使った近代戦術を見て胸を躍らせ、木下藤吉郎に会いたい一心で、織田軍に鉄砲を運ぶ荷駄(にだ)隊に加わります。
天下統一をめざす織田信長と堺の経済力が手を結びました。今井宗久は鉄砲工場を造り、信長に協力します。信長が、上洛(じょうらく)しない浅倉義景の討伐日を、二条城落成日と同じ日に決めたため、宗久は息子・兼久に鉄砲5百丁を越前攻めの織田軍に届けるよう命じます。助左は、信長の鉄砲を使った近代戦術を見て胸を躍らせ、木下藤吉郎に会いたい一心で、織田軍に鉄砲を運ぶ荷駄(にだ)隊に加わります。
永禄13年(1570)4月、3万の兵を率いた織田信長は徳川軍と合流し、越前・朝倉義景を目指します。織田・徳川連合軍は朝倉軍を追い込みますが、信長の妹・お市の婿である浅井長政が寝返ったため、信長は腹背を囲まれ総退却を強いられます。その時、信長から鉄砲5百丁を請け負った今井の荷駄(にだ)隊が、浅井の陣中を突破して、殿(しんがり)を務める木下藤吉郎のもとに到着します。運んだのは助左や五右衞門でした。
永禄13年(1570)4月、3万の兵を率いた織田信長は徳川軍と合流し、越前・朝倉義景を目指します。織田・徳川連合軍は朝倉軍を追い込みますが、信長の妹・お市の婿である浅井長政が寝返ったため、信長は腹背を囲まれ総退却を強いられます。その時、信長から鉄砲5百丁を請け負った今井の荷駄(にだ)隊が、浅井の陣中を突破して、殿(しんがり)を務める木下藤吉郎のもとに到着します。運んだのは助左や五右衞門でした。
助左らの荷駄(にだ)隊は、藤吉郎が敗軍の殿(しんがり)を務める部隊と共に、命からがら京まで逃げ帰りました。それから、助左は堺に戻り五右衛門から驚くような話を聞かされます。それは、今井宗久の息子・兼久が甲賀の六角承禎(ろっかくじょうてい)の館に隠れていた時に、六角と共謀して京から岐阜へ帰る途中の信長を暗殺しようと企て、しかも、助左の仲間である善住坊に信長への狙撃を命じている、という内容です。
助左らの荷駄(にだ)隊は、藤吉郎が敗軍の殿(しんがり)を務める部隊と共に、命からがら京まで逃げ帰りました。それから、助左は堺に戻り五右衛門から驚くような話を聞かされます。それは、今井宗久の息子・兼久が甲賀の六角承禎(ろっかくじょうてい)の館に隠れていた時に、六角と共謀して京から岐阜へ帰る途中の信長を暗殺しようと企て、しかも、助左の仲間である善住坊に信長への狙撃を命じている、という内容です。
善住坊が信長に銃口を向けた瞬間、助左が駆け寄り、善住坊を止めます。弾は信長の小袖をかすめました。今井宗久は信長を狙ったのが兼久の差し金とわかると、五右衛門に善住坊の殺害を命じました。まもなく、交易船の琉球丸が堺の港から琉球へ向けて出航します。船には、助左、五右衛門、善住坊が乗っています。助左は、樽の中に善住坊を隠して逃がそうと考えていましたが、やがて、船は嵐に遭遇して難破してしまいます。
善住坊が信長に銃口を向けた瞬間、助左が駆け寄り、善住坊を止めます。弾は信長の小袖をかすめました。今井宗久は信長を狙ったのが兼久の差し金とわかると、五右衛門に善住坊の殺害を命じました。まもなく、交易船の琉球丸が堺の港から琉球へ向けて出航します。船には、助左、五右衛門、善住坊が乗っています。助左は、樽の中に善住坊を隠して逃がそうと考えていましたが、やがて、船は嵐に遭遇して難破してしまいます。
暴風雨で琉球丸が難破すると、助左らは逆巻く渦の中に投げ出されてしまいます。助左はルソン島の北にあるバタン島に漂着し、善住坊と浜辺で再会しますが、島のボコス族に捕まり、洞窟に連れていかれます。そこには、ボコス族と争っているトンド族の王女・マリキットが捕らえられていました。やがて、五右衛門も捕まり、3人は洞窟で再会します。3人はトンド族の王女・マリキットを連れて、トンド族の島へ逃げます。
暴風雨で琉球丸が難破すると、助左らは逆巻く渦の中に投げ出されてしまいます。助左はルソン島の北にあるバタン島に漂着し、善住坊と浜辺で再会しますが、島のボコス族に捕まり、洞窟に連れていかれます。そこには、ボコス族と争っているトンド族の王女・マリキットが捕らえられていました。やがて、五右衛門も捕まり、3人は洞窟で再会します。3人はトンド族の王女・マリキットを連れて、トンド族の島へ逃げます。
助左たちは、部族間の争いで捕らえられたトンド族の王女・マリキットを救出したにも関わらず、日本人に恨みを持つトンド族の王・ラカンド-ラに殺されそうになり、村を追い出されます。しかし、助左はこの島が夢にまで見たルソン島だと知り、ここで交易をして暮らす決心をします。後に堺の豪商となる助左の最初の商いは、トンド族が相手の物々交換でした。王女・マリキットは次々と苦難が起きる3人のルソン生活を助けていきます。
助左たちは、部族間の争いで捕らえられたトンド族の王女・マリキットを救出したにも関わらず、日本人に恨みを持つトンド族の王・ラカンド-ラに殺されそうになり、村を追い出されます。しかし、助左はこの島が夢にまで見たルソン島だと知り、ここで交易をして暮らす決心をします。後に堺の豪商となる助左の最初の商いは、トンド族が相手の物々交換でした。王女・マリキットは次々と苦難が起きる3人のルソン生活を助けていきます。
助左たち3人が島の生活に慣れてきたころ、五右衛門が善住坊を矢で狙います。それは、五右衛門が金で今井宗久に命じられていたことです。しかし、五右衛門は本気で殺す気はありませんでした。ある日、助左たちはサメから少年を救ったためトンド族の王から家を贈られます。それは、王が心を許した証でした。そのやさき、南蛮船が現れます。この機会を逃したら日本には帰れません。助左は再訪を約束し、3人は帰国の途につきました。
助左たち3人が島の生活に慣れてきたころ、五右衛門が善住坊を矢で狙います。それは、五右衛門が金で今井宗久に命じられていたことです。しかし、五右衛門は本気で殺す気はありませんでした。ある日、助左たちはサメから少年を救ったためトンド族の王から家を贈られます。それは、王が心を許した証でした。そのやさき、南蛮船が現れます。この機会を逃したら日本には帰れません。助左は再訪を約束し、3人は帰国の途につきました。
助左たちを乗せた南蛮船が堺の港に着きました。助左は善住坊を灯台守のお仙に預け、五右衛門と2人で今井宗久に会いに行きます。そして、宗久にルソンとの交易を提案しますが、番頭らの反対にあい、元の納屋番に戻されます。しかも、思いを寄せる美緒に土産のサンゴ珠を渡そうとしますが、美緒が宗久の息子・兼久の妻になったことを知り、がく然とします。ある日、助左は酔った南蛮人に絡まれた木下藤吉郎の妻・ねねを助けます。
助左たちを乗せた南蛮船が堺の港に着きました。助左は善住坊を灯台守のお仙に預け、五右衛門と2人で今井宗久に会いに行きます。そして、宗久にルソンとの交易を提案しますが、番頭らの反対にあい、元の納屋番に戻されます。しかも、思いを寄せる美緒に土産のサンゴ珠を渡そうとしますが、美緒が宗久の息子・兼久の妻になったことを知り、がく然とします。ある日、助左は酔った南蛮人に絡まれた木下藤吉郎の妻・ねねを助けます。
助左は今井兼久の妻・美緒の命を受け、近江・坂本に陣を張る木下藤吉郎のもとへ、妻のねねを送り届けます。道中、助左は、ねねから「夢が叶わぬなら今井をやめればいい。己を生かす場所は己で探せ」と言われます。助左は、ねねを送ったその足で、善住坊をかくまってもらうため、善住坊の友人を訪ねて比叡(ひえい)山へ向かいます。元亀2年(1571)9月、助左は織田信長による比叡山焼き討ちに遭遇します。
助左は今井兼久の妻・美緒の命を受け、近江・坂本に陣を張る木下藤吉郎のもとへ、妻のねねを送り届けます。道中、助左は、ねねから「夢が叶わぬなら今井をやめればいい。己を生かす場所は己で探せ」と言われます。助左は、ねねを送ったその足で、善住坊をかくまってもらうため、善住坊の友人を訪ねて比叡(ひえい)山へ向かいます。元亀2年(1571)9月、助左は織田信長による比叡山焼き討ちに遭遇します。
比叡(ひえい)山焼き討ちの後、小田原の北条氏康が没して勢力図が変わります。甲斐の武田信玄が東海への道を開き、反信長軍が力を盛り返します。堺では善住坊と助左が今井兼久に捕まります。美緒が2人を逃がそうとしますが、それを見つけた宗久は2人を許す代わりに伊勢長島へ行くよう命じます。信長が一向宗門徒を皆殺しにすることを知り、一向宗門徒で長島に住む宗久が愛する女・しまと娘の桔梗(ききょう)を救うためでした。
比叡(ひえい)山焼き討ちの後、小田原の北条氏康が没して勢力図が変わります。甲斐の武田信玄が東海への道を開き、反信長軍が力を盛り返します。堺では善住坊と助左が今井兼久に捕まります。美緒が2人を逃がそうとしますが、それを見つけた宗久は2人を許す代わりに伊勢長島へ行くよう命じます。信長が一向宗門徒を皆殺しにすることを知り、一向宗門徒で長島に住む宗久が愛する女・しまと娘の桔梗(ききょう)を救うためでした。
信長と浅井・朝倉の戦いが本格的になると、甲斐の武田信玄は将軍・足利義昭が発した信長討伐令に応じて出陣します。武田の進軍で信長は挟み討ちとなり、窮地に追い込まれます。そのころ、助左は兼久によって、今井家の生野銀山へ追いやられていました。信長の窮地で山から逃げ出す者が相次ぎ、混乱する中、助左は大量の銀を強奪する計画を知ります。一方、五右衛門は恋仲のモニカに縁談が持ち上がり、連れて逃げるよう迫られます。
信長と浅井・朝倉の戦いが本格的になると、甲斐の武田信玄は将軍・足利義昭が発した信長討伐令に応じて出陣します。武田の進軍で信長は挟み討ちとなり、窮地に追い込まれます。そのころ、助左は兼久によって、今井家の生野銀山へ追いやられていました。信長の窮地で山から逃げ出す者が相次ぎ、混乱する中、助左は大量の銀を強奪する計画を知ります。一方、五右衛門は恋仲のモニカに縁談が持ち上がり、連れて逃げるよう迫られます。
武田信玄が三方ヶ原で徳川家康に勝利すると、将軍・足利義昭は信長追討の兵を挙げます。生野銀山では、助左が強奪計画から今井の銀を守ります。そして、助左を慕い銀山までやって来た美緒を連れて堺に戻りました。そのころ、今井宗久は信長と運命を共にする決断をします。宗久は助左を伴い、船に軍事物資を満載して岐阜に向かいます。そんな時、信玄が急死。信長は窮地を脱します。助左は堺へ戻る船で、宗久に独立を願い出ます。
武田信玄が三方ヶ原で徳川家康に勝利すると、将軍・足利義昭は信長追討の兵を挙げます。生野銀山では、助左が強奪計画から今井の銀を守ります。そして、助左を慕い銀山までやって来た美緒を連れて堺に戻りました。そのころ、今井宗久は信長と運命を共にする決断をします。宗久は助左を伴い、船に軍事物資を満載して岐阜に向かいます。そんな時、信玄が急死。信長は窮地を脱します。助左は堺へ戻る船で、宗久に独立を願い出ます。
武田信玄の急死で窮地を脱した織田信長は将軍・足利義昭を追放し、さらに、朝倉を破り、浅井長政と妹・お市がいる小谷(おだに)城へ迫ります。小谷城を攻める木下藤吉郎の陣に荷を運ぶことが、助左にとって今井家での最後の仕事になりました。長政に降伏を促すため、藤吉郎が助左の荷物に紛れて城に潜入する作戦です。それは、宗久が助左を藤吉郎の家来にと考えてのことでしたが、助左はその申し出を断りました。
武田信玄の急死で窮地を脱した織田信長は将軍・足利義昭を追放し、さらに、朝倉を破り、浅井長政と妹・お市がいる小谷(おだに)城へ迫ります。小谷城を攻める木下藤吉郎の陣に荷を運ぶことが、助左にとって今井家での最後の仕事になりました。長政に降伏を促すため、藤吉郎が助左の荷物に紛れて城に潜入する作戦です。それは、宗久が助左を藤吉郎の家来にと考えてのことでしたが、助左はその申し出を断りました。
藤吉郎は近江12万石の大名に出世して、羽柴秀吉と名を改めます。琵琶湖北東部に長浜城を築いた秀吉は、城下に水運を開き、商いの盛んな町を作る考えでした。一方、今井から独立した助左は木綿を仕入れて商いを始めますが、なかなか売れません。それは、千宗易(利休)が木綿を安い値段で売っていたためでした。それを知った助左は直談判のため宗易に会いますが、逆に宗易から商売のコツを教わり、「木綿の火縄」を考えつきます。
藤吉郎は近江12万石の大名に出世して、羽柴秀吉と名を改めます。琵琶湖北東部に長浜城を築いた秀吉は、城下に水運を開き、商いの盛んな町を作る考えでした。一方、今井から独立した助左は木綿を仕入れて商いを始めますが、なかなか売れません。それは、千宗易(利休)が木綿を安い値段で売っていたためでした。それを知った助左は直談判のため宗易に会いますが、逆に宗易から商売のコツを教わり、「木綿の火縄」を考えつきます。
助左が「木綿の火縄」を長浜の秀吉のもとへ運ぶと、既に今井が作った木綿の火縄がありましたが、それでも、秀吉は買い取ります。助左は秀吉から琵琶湖での船荷運搬を勧められて、その代金で舟を手にいれます。ある日、助左は舟で秀吉の家臣・石田左吉(三成)を京へ送り、イエズス会の南蛮寺で宣教師フロイスとキリシタンの高槻城主・高山右近に会います。そして、信長による安土での新しい町づくりの話を聞き、胸を躍らせます。
助左が「木綿の火縄」を長浜の秀吉のもとへ運ぶと、既に今井が作った木綿の火縄がありましたが、それでも、秀吉は買い取ります。助左は秀吉から琵琶湖での船荷運搬を勧められて、その代金で舟を手にいれます。ある日、助左は舟で秀吉の家臣・石田左吉(三成)を京へ送り、イエズス会の南蛮寺で宣教師フロイスとキリシタンの高槻城主・高山右近に会います。そして、信長による安土での新しい町づくりの話を聞き、胸を躍らせます。
南蛮寺から戻る助左と石田左吉(三成)は、明智光秀の娘・たまを近江・坂本まで送ります。その途中、五右衛門とモニカを見つけ、モニカの変わり果てた姿に驚きます。長浜へ帰った助左は秀吉から南蛮品の買い付けを言われ、堺から明の瓦職人・一観が焼いた青瓦を長浜に持ち帰ります。助左は左吉の策のおかげで、秀吉から瓦の調達一切を任されます。そのころ、今井宗久は信長に安土城の建設を任されます。
南蛮寺から戻る助左と石田左吉(三成)は、明智光秀の娘・たまを近江・坂本まで送ります。その途中、五右衛門とモニカを見つけ、モニカの変わり果てた姿に驚きます。長浜へ帰った助左は秀吉から南蛮品の買い付けを言われ、堺から明の瓦職人・一観が焼いた青瓦を長浜に持ち帰ります。助左は左吉の策のおかげで、秀吉から瓦の調達一切を任されます。そのころ、今井宗久は信長に安土城の建設を任されます。
今井宗久は安土城建設のため、全国から腕利きの職人を集めます。そのころ、助左が堺から持ち帰った青瓦が信長の目に留まり、天守閣の屋根瓦に決まりました。助左は商いが回り始めたため、五右衛門を長浜に誘います。喜んだ五右衛門は助左の代理で高槻の高山右近に青瓦を届ける役を買って出ます。そして、五右衛門は復活祭のため人々で賑わう高槻の教会でモニカに出会いますが、モニカは聖母のように昇天してしまいます。
今井宗久は安土城建設のため、全国から腕利きの職人を集めます。そのころ、助左が堺から持ち帰った青瓦が信長の目に留まり、天守閣の屋根瓦に決まりました。助左は商いが回り始めたため、五右衛門を長浜に誘います。喜んだ五右衛門は助左の代理で高槻の高山右近に青瓦を届ける役を買って出ます。そして、五右衛門は復活祭のため人々で賑わう高槻の教会でモニカに出会いますが、モニカは聖母のように昇天してしまいます。
一向宗門徒に火薬の調達を頼まれ、善住坊が堺へ帰ってきました。宗久としまの娘・桔梗(ききょう)を育てながら、加賀で暮らしていました。お仙の知らせで助左が堺に戻ると、善住坊は兼久に捕まっていました。兼久は父・宗久に、家督を譲らなければ善住坊を代官所へ引き渡すと脅します。それを知った美緒がひそかに逃がし、善住坊は助左と再会を果たします。喜んだのもつかの間、善住坊は捕えられ、のこぎり引きの刑になります。
一向宗門徒に火薬の調達を頼まれ、善住坊が堺へ帰ってきました。宗久としまの娘・桔梗(ききょう)を育てながら、加賀で暮らしていました。お仙の知らせで助左が堺に戻ると、善住坊は兼久に捕まっていました。兼久は父・宗久に、家督を譲らなければ善住坊を代官所へ引き渡すと脅します。それを知った美緒がひそかに逃がし、善住坊は助左と再会を果たします。喜んだのもつかの間、善住坊は捕えられ、のこぎり引きの刑になります。
助左は高槻城主・高山右近から、青瓦と交換で五百石船を譲ると言われます。助左には願ってもない申し出です。ところが、摂津守・荒木村重が謀反を起こしたため、側近の右近も信長の敵となってしまいます。信長はキリシタンの右近に、織田側につかなければ宣教師とキリシタン全員を殺すと迫ります。右近は助左に堺まで船の運搬を頼んだ後、信長に服従します。助左は船を運ぶ途中、織田方の鉄甲船と毛利水軍の海戦に巻き込まれます。
助左は高槻城主・高山右近から、青瓦と交換で五百石船を譲ると言われます。助左には願ってもない申し出です。ところが、摂津守・荒木村重が謀反を起こしたため、側近の右近も信長の敵となってしまいます。信長はキリシタンの右近に、織田側につかなければ宣教師とキリシタン全員を殺すと迫ります。右近は助左に堺まで船の運搬を頼んだ後、信長に服従します。助左は船を運ぶ途中、織田方の鉄甲船と毛利水軍の海戦に巻き込まれます。
助左は高山右近の五百石船を堺の港へ無事に届けました。信長は死を覚悟で訪れた右近に、再び高槻城主として仕えることを命じて、毛利攻略の西国進撃を進めます。天正7年(1579)春、安土城が完成しました。まるで信長の天下統一を象徴するかのような威容です。助左は右近からバテレンの聖堂に使う青瓦の代金の代わりに、五百石船(後の呂宋丸・るそんまる)を手に入れ、夢にまで見た交易船の船長になりました。
助左は高山右近の五百石船を堺の港へ無事に届けました。信長は死を覚悟で訪れた右近に、再び高槻城主として仕えることを命じて、毛利攻略の西国進撃を進めます。天正7年(1579)春、安土城が完成しました。まるで信長の天下統一を象徴するかのような威容です。助左は右近からバテレンの聖堂に使う青瓦の代金の代わりに、五百石船(後の呂宋丸・るそんまる)を手に入れ、夢にまで見た交易船の船長になりました。
信長の西国進撃で、鳥取城の攻略を始めた秀吉は、助左に儲け話をします。鳥取城下から米を買いつけて若狭に運ぶ仕事です。それは、秀吉が城を攻める前に米を買い占めて、兵糧戦を有利にする作戦でした。そのころ、秀吉との戦に備える鳥取城に、毛利から吉川(きっかわ)経家が遣わされます。経家は城内の兵糧不足気づき、食料調達のため城下に出向きます。そこで、助左と出会ったのでした。
信長の西国進撃で、鳥取城の攻略を始めた秀吉は、助左に儲け話をします。鳥取城下から米を買いつけて若狭に運ぶ仕事です。それは、秀吉が城を攻める前に米を買い占めて、兵糧戦を有利にする作戦でした。そのころ、秀吉との戦に備える鳥取城に、毛利から吉川(きっかわ)経家が遣わされます。経家は城内の兵糧不足気づき、食料調達のため城下に出向きます。そこで、助左と出会ったのでした。
吉川(きっかわ)経家は米の買い付けに奔走しましたが、鳥取城は秀吉の2万の軍勢に包囲され兵糧攻めにあいます。傷を負い城内に留まる助左も木の甘皮で食いつなぎます。毛利の救援隊が秀吉軍に敗退し、鳥取城は飢餓地獄に陥ります。降伏勧告を拒んだ経家も、ついに降伏して、切腹します。助左は九死に一生を得て、堺へ戻りました。そして、秀吉の援助を受け、「呂宋(るそん)丸」で南海を目指して出航します。
吉川(きっかわ)経家は米の買い付けに奔走しましたが、鳥取城は秀吉の2万の軍勢に包囲され兵糧攻めにあいます。傷を負い城内に留まる助左も木の甘皮で食いつなぎます。毛利の救援隊が秀吉軍に敗退し、鳥取城は飢餓地獄に陥ります。降伏勧告を拒んだ経家も、ついに降伏して、切腹します。助左は九死に一生を得て、堺へ戻りました。そして、秀吉の援助を受け、「呂宋(るそん)丸」で南海を目指して出航します。
助左と美緒が「呂宋(るそん)丸」でルソン島アゴーの浜に着くと、村はイスパニア兵に攻撃されていました。助左は10年前の恩に報いようと村人に加勢します。助左らの大活躍でイスパニア兵が逃げ出したため、イスパニア人はアゴーの浜を「プェルト・デル・ハポン」・日本人の港と呼ぶようになりました。美緒は堺で売られた日本女性・しのに出会い、ルソンでの生活を決めます。助左はルソンの品物を積み、日本へ戻ります。
助左と美緒が「呂宋(るそん)丸」でルソン島アゴーの浜に着くと、村はイスパニア兵に攻撃されていました。助左は10年前の恩に報いようと村人に加勢します。助左らの大活躍でイスパニア兵が逃げ出したため、イスパニア人はアゴーの浜を「プェルト・デル・ハポン」・日本人の港と呼ぶようになりました。美緒は堺で売られた日本女性・しのに出会い、ルソンでの生活を決めます。助左はルソンの品物を積み、日本へ戻ります。
「呂宋(ルソン)丸」が半年ぶりに堺に戻る途中、瀬戸内の岡山沖まで来た時に嵐にあいました。助左は、難波しかけていた飛脚船を助けますが、その船で毛利宛ての密書を手に入れます。そこには、信長が本能寺で明智光秀に討たれたことが記されていました。助左は備中・高松城攻めの秀吉のもとへ密書を届けさせます。密書を読んだ秀吉は、すぐに毛利と講和を結び、3万の大軍と共に嵐を突いて、ひたすら東を目指して駆け抜けました。
「呂宋(ルソン)丸」が半年ぶりに堺に戻る途中、瀬戸内の岡山沖まで来た時に嵐にあいました。助左は、難波しかけていた飛脚船を助けますが、その船で毛利宛ての密書を手に入れます。そこには、信長が本能寺で明智光秀に討たれたことが記されていました。助左は備中・高松城攻めの秀吉のもとへ密書を届けさせます。密書を読んだ秀吉は、すぐに毛利と講和を結び、3万の大軍と共に嵐を突いて、ひたすら東を目指して駆け抜けました。
秀吉は主君・信長の死を知るやいなや、全軍で姫路へ向かいました。途中、秀吉らは助左の船で赤穂へ向かい、姫路城に入ります。その後、堺に戻った助左は宗久と共に主を失った安土城を見に行き、炎上する城の姿を目にします。宗久には、燃え上がる天守閣が天に舞い上がる信長に見えました。信長の時代が終わり、宗久の命運も尽きました。宗久は美緒のいるルソンへ向けて出航しますが、その船がルソンへ着くことはありませんでした。
秀吉は主君・信長の死を知るやいなや、全軍で姫路へ向かいました。途中、秀吉らは助左の船で赤穂へ向かい、姫路城に入ります。その後、堺に戻った助左は宗久と共に主を失った安土城を見に行き、炎上する城の姿を目にします。宗久には、燃え上がる天守閣が天に舞い上がる信長に見えました。信長の時代が終わり、宗久の命運も尽きました。宗久は美緒のいるルソンへ向けて出航しますが、その船がルソンへ着くことはありませんでした。
信長亡き後の織田家の家督は、秀吉が推す信長の嫡孫・三法師に決まりました。三法師が3才と幼いため、実権は秀吉が握ることになります。柴田勝家らは秀吉の失脚を計りますが、失敗に終わります。一方、助左は美緒を残してきたルソンへ出航する予定を立てていましたが、秀吉から信長の葬儀を手伝い、名を上げるよう言われます。秀吉に従うか、ルソンに行くか、その決断が助左の分かれ道となりました。
信長亡き後の織田家の家督は、秀吉が推す信長の嫡孫・三法師に決まりました。三法師が3才と幼いため、実権は秀吉が握ることになります。柴田勝家らは秀吉の失脚を計りますが、失敗に終わります。一方、助左は美緒を残してきたルソンへ出航する予定を立てていましたが、秀吉から信長の葬儀を手伝い、名を上げるよう言われます。秀吉に従うか、ルソンに行くか、その決断が助左の分かれ道となりました。
助左は、今井兼久の妻である美緒の思いを知りながらもルソン島から連れ帰ります。今井に帰った美緒は、兼久が梢(こずえ)に産ませた子の母になる決心をします。信長の死から1年、秀吉は柴田勝家らを滅ぼし、権力を手にして大坂に城を築こうとします。築城の資金を得るため、堺の商人を大坂に移して日本一の商いの町にしようとしますが、助左は堺に残ります。そのころ、五右衞門は盗賊の頭になり、街道筋に出没していました。
助左は、今井兼久の妻である美緒の思いを知りながらもルソン島から連れ帰ります。今井に帰った美緒は、兼久が梢(こずえ)に産ませた子の母になる決心をします。信長の死から1年、秀吉は柴田勝家らを滅ぼし、権力を手にして大坂に城を築こうとします。築城の資金を得るため、堺の商人を大坂に移して日本一の商いの町にしようとしますが、助左は堺に残ります。そのころ、五右衞門は盗賊の頭になり、街道筋に出没していました。
助左の荷駄隊(にだたい)が進む街道に、盗賊が待ち伏せていました。盗賊の頭は五右衛門です。五右衛門は、助左が隊列を率いていると知ると襲撃を止めて、りりしい助左の姿に感心します。その助左は、堺の町でルソンの品を商う店を開きました。ある日、助左は宗久としまの娘・桔梗(ききょう)と再会して、兼久に会わせる。しかし、兼久は桔梗を妹とは認めません。尾張では、西の秀吉と東の家康、竜虎相撃つ日が来ました。
助左の荷駄隊(にだたい)が進む街道に、盗賊が待ち伏せていました。盗賊の頭は五右衛門です。五右衛門は、助左が隊列を率いていると知ると襲撃を止めて、りりしい助左の姿に感心します。その助左は、堺の町でルソンの品を商う店を開きました。ある日、助左は宗久としまの娘・桔梗(ききょう)と再会して、兼久に会わせる。しかし、兼久は桔梗を妹とは認めません。尾張では、西の秀吉と東の家康、竜虎相撃つ日が来ました。
小牧長久手の戦いの中、助左は秀吉の陣で千宗易(利休)に再会します。その席で、宗易は、秀吉に屈服せず商売に徹する助左の姿に、堺商人の誇りと魂を見る思いをしました。後日、宗易はてい髪して僧侶姿で助左の前に現れます。商人を捨てて大阪へ行くと言います。そのため、堺を守るように助左に頼んで、納屋(倉庫)の鍵と共に納屋の姓を譲ります。「納屋助左衛門」の誕生です。一方、今井兼久は宗薫と名を改めます。
小牧長久手の戦いの中、助左は秀吉の陣で千宗易(利休)に再会します。その席で、宗易は、秀吉に屈服せず商売に徹する助左の姿に、堺商人の誇りと魂を見る思いをしました。後日、宗易はてい髪して僧侶姿で助左の前に現れます。商人を捨てて大阪へ行くと言います。そのため、堺を守るように助左に頼んで、納屋(倉庫)の鍵と共に納屋の姓を譲ります。「納屋助左衛門」の誕生です。一方、今井兼久は宗薫と名を改めます。
助左衛門を乗せた呂宗(るそん)丸が堺に帰る途中、難破して海賊船に捕らえられます。助左衛門は南蛮医術を見よう見まねして、海賊の頭・高砂甚兵衛の足から鉄砲の玉を取り出して、海賊たちの信用を得ます。助左衛門は海賊船で過ごすうちに、海で死んだ父の面影を甚兵衛に重ねます。しかし、甚兵衛は昔の記憶を失っていました。堺では、秀吉が美緒を見初めて、今井宗薫の女房と知りながら、召し上げるように石田三成に命じます。
助左衛門を乗せた呂宗(るそん)丸が堺に帰る途中、難破して海賊船に捕らえられます。助左衛門は南蛮医術を見よう見まねして、海賊の頭・高砂甚兵衛の足から鉄砲の玉を取り出して、海賊たちの信用を得ます。助左衛門は海賊船で過ごすうちに、海で死んだ父の面影を甚兵衛に重ねます。しかし、甚兵衛は昔の記憶を失っていました。堺では、秀吉が美緒を見初めて、今井宗薫の女房と知りながら、召し上げるように石田三成に命じます。
秀吉は関白職に就き、名実ともに権力を握りました。助左衛門は無一文で堺に戻り、千利休から譲られた納屋を担保にして、小西行長から三十石船を借り、米の回船業を始めます。今井宗薫は秀吉に妻の美緒を召し出すように迫られたため、東国へ逃がそうとしますが、美緒は聞き入れません。ある日、豪雨が大坂の町を襲い、淀川堤は決壊寸前になります。助左衛門は積荷の米俵を土嚢(どのう)替わりに積み上げて、決壊を防ぎました。
秀吉は関白職に就き、名実ともに権力を握りました。助左衛門は無一文で堺に戻り、千利休から譲られた納屋を担保にして、小西行長から三十石船を借り、米の回船業を始めます。今井宗薫は秀吉に妻の美緒を召し出すように迫られたため、東国へ逃がそうとしますが、美緒は聞き入れません。ある日、豪雨が大坂の町を襲い、淀川堤は決壊寸前になります。助左衛門は積荷の米俵を土嚢(どのう)替わりに積み上げて、決壊を防ぎました。
助左衛門は洪水から大坂の町を守った手柄として秀吉から千石船を与えられました。助左衛門が店に戻ると、9年ぶりに五右衛門が現れ、秀吉に召し出されようとしていた美緒を救い出して連れて来ました。助左衛門は美緒をルソンへ逃がそうと考えて、出航するまで利休の屋敷に美緒を隠してもらいます。そして、秀吉からの千石船に美緒を乗せて、無事出航します。しかし、秀吉はそのことを知っており、次の一手を打っていました。
助左衛門は洪水から大坂の町を守った手柄として秀吉から千石船を与えられました。助左衛門が店に戻ると、9年ぶりに五右衛門が現れ、秀吉に召し出されようとしていた美緒を救い出して連れて来ました。助左衛門は美緒をルソンへ逃がそうと考えて、出航するまで利休の屋敷に美緒を隠してもらいます。そして、秀吉からの千石船に美緒を乗せて、無事出航します。しかし、秀吉はそのことを知っており、次の一手を打っていました。
美緒を乗せた助左衛門の船は大坂で止められて、秀吉に下船を命じられます。すると、美緒は自分に短銃を向けて抵抗したため、秀吉は渋々美緒のことをあきらめますが、それからまもなく堺の堀を埋めてしまいました。権力を手にした秀吉は九州制圧では飽きたらず、朝鮮遠征を企てます。さらにキリシタン禁止令を発布してバテレン追放を命じたため、小西行長は秀吉に従い表向きは信仰を捨てますが、高山右近はあえて流刑を選びました。
美緒を乗せた助左衛門の船は大坂で止められて、秀吉に下船を命じられます。すると、美緒は自分に短銃を向けて抵抗したため、秀吉は渋々美緒のことをあきらめますが、それからまもなく堺の堀を埋めてしまいました。権力を手にした秀吉は九州制圧では飽きたらず、朝鮮遠征を企てます。さらにキリシタン禁止令を発布してバテレン追放を命じたため、小西行長は秀吉に従い表向きは信仰を捨てますが、高山右近はあえて流刑を選びました。
秀吉は朱印制度や海賊禁止令を推し進めて、自由な交易に介入してきたため、堺の商人たちは動揺します。助左衛門は自由な交易を望んで秀吉に抵抗したため、朱印状を発行してもらえず海賊船となり、水夫が集まりませんでした。しかし、五右衛門と手下たちが、この苦境を救ってくれました。助左衛門の船は、出港を阻み、海賊船として捕らえようとする役人たちの隙をついて、ルソンを目指して旅立ちました。
秀吉は朱印制度や海賊禁止令を推し進めて、自由な交易に介入してきたため、堺の商人たちは動揺します。助左衛門は自由な交易を望んで秀吉に抵抗したため、朱印状を発行してもらえず海賊船となり、水夫が集まりませんでした。しかし、五右衛門と手下たちが、この苦境を救ってくれました。助左衛門の船は、出港を阻み、海賊船として捕らえようとする役人たちの隙をついて、ルソンを目指して旅立ちました。
助左衛門はルソンから持ち帰った壺(つぼ)で、自由な交易を許さない秀吉との勝負にでました。助左衛門は千利休に壺の目利きを願い出て、ルソンの壺を名器に仕立てます。そのため、大坂城に集まった大名たちは安物の壺に1万貫の高値をつけて、競って買いあさりました。助左衛門は一生に一度の大ばくちを打って、一夜で豪商になります。そして、堺の灯を守るために自由交易船団を結成します。
助左衛門はルソンから持ち帰った壺(つぼ)で、自由な交易を許さない秀吉との勝負にでました。助左衛門は千利休に壺の目利きを願い出て、ルソンの壺を名器に仕立てます。そのため、大坂城に集まった大名たちは安物の壺に1万貫の高値をつけて、競って買いあさりました。助左衛門は一生に一度の大ばくちを打って、一夜で豪商になります。そして、堺の灯を守るために自由交易船団を結成します。
小西行長は国書を携えて、秀吉の使者として朝鮮に向かいました。その国書には、朝鮮国に日本への従属を迫り、貢物を差し出すように書かれていました。そこへ助左衛門の船団が現れ、秀吉の国書を破り捨てるよう迫ります。行長らも朝鮮国王が秀吉に屈服して、国使を出すとは思えません。そこで助左衛門と行長は、国書を書き換えさせます。そして、朝鮮通信使(親善使節団)を国使と偽り、漢文を読めない秀吉に拝謁させました。
小西行長は国書を携えて、秀吉の使者として朝鮮に向かいました。その国書には、朝鮮国に日本への従属を迫り、貢物を差し出すように書かれていました。そこへ助左衛門の船団が現れ、秀吉の国書を破り捨てるよう迫ります。行長らも朝鮮国王が秀吉に屈服して、国使を出すとは思えません。そこで助左衛門と行長は、国書を書き換えさせます。そして、朝鮮通信使(親善使節団)を国使と偽り、漢文を読めない秀吉に拝謁させました。
千利休が大徳寺の山門に自分の木像を置いたことが、秀吉の怒りを買いました。助左衛門は利休が京を追われて謹慎を命じられたと聞き、舟で堺の屋敷まで送ります。そして、利休の身に危険が迫っていると察した助左衛門は、利休をルソンへ逃がそうとして、その日の夜に舟で利休の屋敷まで迎えに行きますが、すでに石田三成と奉行所の兵に囲まれていました。それから14日後、利休は秀吉に命じられて切腹しました。
千利休が大徳寺の山門に自分の木像を置いたことが、秀吉の怒りを買いました。助左衛門は利休が京を追われて謹慎を命じられたと聞き、舟で堺の屋敷まで送ります。そして、利休の身に危険が迫っていると察した助左衛門は、利休をルソンへ逃がそうとして、その日の夜に舟で利休の屋敷まで迎えに行きますが、すでに石田三成と奉行所の兵に囲まれていました。それから14日後、利休は秀吉に命じられて切腹しました。
肥前・加津佐の港で、桔梗(ききょう)を連れ戻しに来た五右衛門の船が奇襲にあいました。秀吉が長崎の豪商・原田喜右衛門に助左衛門の船団を襲撃するように命じていたためです。堺では、助左衛門が、今井宗薫の息子・小太郎に襲われます。小太郎は、助左衛門が継母の美緒を奪ったと思い、恨んでいました。九州の名護屋では、秀吉が朝鮮出兵のため大軍を集めていました。石田三成は、外国侵略を嫌う助左衛門を訪ねます。
肥前・加津佐の港で、桔梗(ききょう)を連れ戻しに来た五右衛門の船が奇襲にあいました。秀吉が長崎の豪商・原田喜右衛門に助左衛門の船団を襲撃するように命じていたためです。堺では、助左衛門が、今井宗薫の息子・小太郎に襲われます。小太郎は、助左衛門が継母の美緒を奪ったと思い、恨んでいました。九州の名護屋では、秀吉が朝鮮出兵のため大軍を集めていました。石田三成は、外国侵略を嫌う助左衛門を訪ねます。
文禄元年(1592)、秀吉は朝鮮出兵の号令を発しました。小西行長率いる一番隊が釜山からソウルへ進撃する一方、二番隊の加藤清正もソウル一番乗りを目指します。助左衛門も朝鮮に渡り、偽の国使の一件を隠すために、清正が行長よりも先に朝鮮国王に拝謁することを阻止しようと画策します。そのころ、桔梗(ききょう)は秀吉から関白職を継いだ甥・秀次のもとにいました。兄の宗薫に、秀次の側室として差し出されたためでした。
文禄元年(1592)、秀吉は朝鮮出兵の号令を発しました。小西行長率いる一番隊が釜山からソウルへ進撃する一方、二番隊の加藤清正もソウル一番乗りを目指します。助左衛門も朝鮮に渡り、偽の国使の一件を隠すために、清正が行長よりも先に朝鮮国王に拝謁することを阻止しようと画策します。そのころ、桔梗(ききょう)は秀吉から関白職を継いだ甥・秀次のもとにいました。兄の宗薫に、秀次の側室として差し出されたためでした。
助左衛門は、秀吉の次の狙いがルソン侵攻であることを知り、降伏を迫る国書をマニラ総督へ届ける朱印船を襲います。しかし、国書を持った原田喜右衛門が乗る船を取り逃がしてしまいます。助左衛門は秀吉に外国侵攻の無益さを直訴しますが、石田三成が取りなすかいもなく、秀吉の怒りにふれて捕われてしまいます。そのころ、猛進撃を続けていた遠征軍は息切れの状態でした。暗黒の「文禄・慶長の役」の始まりです。
助左衛門は、秀吉の次の狙いがルソン侵攻であることを知り、降伏を迫る国書をマニラ総督へ届ける朱印船を襲います。しかし、国書を持った原田喜右衛門が乗る船を取り逃がしてしまいます。助左衛門は秀吉に外国侵攻の無益さを直訴しますが、石田三成が取りなすかいもなく、秀吉の怒りにふれて捕われてしまいます。そのころ、猛進撃を続けていた遠征軍は息切れの状態でした。暗黒の「文禄・慶長の役」の始まりです。
マニラ総督は秀吉のルソン遠征計画を知り、再び親書を携えた使節を日本に送りました。マニラの使節は、秀吉が、読めないスペイン語に苛立ち、親書を破る姿を見て、その異様さに驚きます。その後、側室・淀殿が秀頼を産み、秀吉に実子ができると、秀吉は養子である関白・秀次に切腹を命じます。秀次の側室・桔梗(ききょう)は、美緒の命を受けた五右衛門に連れ戻され、助左衛門のいるルソンへ渡ります。
マニラ総督は秀吉のルソン遠征計画を知り、再び親書を携えた使節を日本に送りました。マニラの使節は、秀吉が、読めないスペイン語に苛立ち、親書を破る姿を見て、その異様さに驚きます。その後、側室・淀殿が秀頼を産み、秀吉に実子ができると、秀吉は養子である関白・秀次に切腹を命じます。秀次の側室・桔梗(ききょう)は、美緒の命を受けた五右衛門に連れ戻され、助左衛門のいるルソンへ渡ります。
ルソンでは、助左衛門が五右衛門に背中を押されて、桔梗(ききょう)に求婚します。一方、日本では伏見地方を震源とする大地震が起きました。また、嵐のためイスパニア軍艦サン・フェリーペ号が土佐沖に漂着すると、秀吉は乗船していた宣教師を処刑してしまいます。その後、サン・フェリーペ号がルソンへ帰り、その悲報を伝えるとイスパニア人は激怒して、助左衛門と桔梗の婚礼の前日に、ルソンの日本人町を襲撃しました。
ルソンでは、助左衛門が五右衛門に背中を押されて、桔梗(ききょう)に求婚します。一方、日本では伏見地方を震源とする大地震が起きました。また、嵐のためイスパニア軍艦サン・フェリーペ号が土佐沖に漂着すると、秀吉は乗船していた宣教師を処刑してしまいます。その後、サン・フェリーペ号がルソンへ帰り、その悲報を伝えるとイスパニア人は激怒して、助左衛門と桔梗の婚礼の前日に、ルソンの日本人町を襲撃しました。
秀吉が宣教師を処刑した影響で、桔梗(ききょう)がルソンで命を落としました。助左衛門は、九州の名護屋へ向かう秀吉の船を襲う計画を立てますが、秀吉の病で未遂に終わります。そんな時、五右衛門は山へ戻るために助左衛門に別れを告げます。しかし、それは優しくも悲しい嘘でした。秀吉を許せない五右衛門は伏見城へ侵入しますが、秀吉の寝所を目前にして捕まります。五右衛門はすべてを黙秘したまま、釜ゆでの刑になりました。
秀吉が宣教師を処刑した影響で、桔梗(ききょう)がルソンで命を落としました。助左衛門は、九州の名護屋へ向かう秀吉の船を襲う計画を立てますが、秀吉の病で未遂に終わります。そんな時、五右衛門は山へ戻るために助左衛門に別れを告げます。しかし、それは優しくも悲しい嘘でした。秀吉を許せない五右衛門は伏見城へ侵入しますが、秀吉の寝所を目前にして捕まります。五右衛門はすべてを黙秘したまま、釜ゆでの刑になりました。
助左衛門は病床の秀吉を見舞いますが、追放を命じられます。しかし、石田三成の配慮でルソン追放となり、美緒が手配した今井の船で助左衛門の膨大な財産を運びます。船団を率いるのは宗薫の子・小太郎。堺衆の誇りを守り抜く助左衛門に憧れています。助左衛門はマニラ郊外の町に着くと、ルソンに堺のような日本人町をつくる決意を小太郎に語ります。すると、そこへ盗賊が襲ってきます。なんと、小太郎が争った相手は女性でした。
助左衛門は病床の秀吉を見舞いますが、追放を命じられます。しかし、石田三成の配慮でルソン追放となり、美緒が手配した今井の船で助左衛門の膨大な財産を運びます。船団を率いるのは宗薫の子・小太郎。堺衆の誇りを守り抜く助左衛門に憧れています。助左衛門はマニラ郊外の町に着くと、ルソンに堺のような日本人町をつくる決意を小太郎に語ります。すると、そこへ盗賊が襲ってきます。なんと、小太郎が争った相手は女性でした。
慶長3年(1598)、秀吉が波乱万丈の生涯を閉じました。石田三成は秀吉の死を伏せて、助左衛門に赦免状を出します。秀吉の死から5か月後、大坂城を守っていた北政所(きたのまんどころ)に代わり、豊臣世継ぎの秀頼とその母・淀君が乗り込んできました。一方、細川ガラシャは堺を訪れて、小西行長らに三成の身に危険が迫っていることを伝えます。時はやがて始まる暗黒の時代へと動き出そうとしていました。
慶長3年(1598)、秀吉が波乱万丈の生涯を閉じました。石田三成は秀吉の死を伏せて、助左衛門に赦免状を出します。秀吉の死から5か月後、大坂城を守っていた北政所(きたのまんどころ)に代わり、豊臣世継ぎの秀頼とその母・淀君が乗り込んできました。一方、細川ガラシャは堺を訪れて、小西行長らに三成の身に危険が迫っていることを伝えます。時はやがて始まる暗黒の時代へと動き出そうとしていました。
助左衛門は石田三成から赦免状を受け取り、ルソンから帰国しました。さらに三成の協力で、埋められた堺の堀の再建に取りかかります。そのころ、前田利家が死に、家康が動き始めました。慶長4年(1599)春、堺で12年ぶりに復活祭が催され、細川ガラシャがミサに訪れました。そして、助左衛門と小西行長に、ガラシャの夫・細川忠興らが首謀者となり、今夜、三成を狙って奉行所を襲撃すると打ち明けます。
助左衛門は石田三成から赦免状を受け取り、ルソンから帰国しました。さらに三成の協力で、埋められた堺の堀の再建に取りかかります。そのころ、前田利家が死に、家康が動き始めました。慶長4年(1599)春、堺で12年ぶりに復活祭が催され、細川ガラシャがミサに訪れました。そして、助左衛門と小西行長に、ガラシャの夫・細川忠興らが首謀者となり、今夜、三成を狙って奉行所を襲撃すると打ち明けます。
徳川家康の陰謀で石田三成は窮地に追い込まれ、家康に味方する大名の妻子を人質にしました。三成は細川ガラシャとの再会を心待ちにしていましたが、そこに来たのはガラシャの死を伝える一報でした。慶長5年(1600)、西軍の三成勢と東軍の家康勢が関ヶ原で対決しました。西軍は小早川秀秋の離反で負けを喫します。一方、堺は敗走する西軍・島津軍を助けたため中立の立場ではなくなり、家康の軍勢に町を包囲されてしまいます。
徳川家康の陰謀で石田三成は窮地に追い込まれ、家康に味方する大名の妻子を人質にしました。三成は細川ガラシャとの再会を心待ちにしていましたが、そこに来たのはガラシャの死を伝える一報でした。慶長5年(1600)、西軍の三成勢と東軍の家康勢が関ヶ原で対決しました。西軍は小早川秀秋の離反で負けを喫します。一方、堺は敗走する西軍・島津軍を助けたため中立の立場ではなくなり、家康の軍勢に町を包囲されてしまいます。
徳川家康は石田三成らを六条河原で処刑しました。そして、助左衛門を大坂城に呼び出して、堺の町を閉じて商人たちを江戸へ移すように命じます。助左衛門は堺の町を、江戸にではなく、ルソンに移そうと決めて、同行者を募ります。今井宗薫らは江戸に行くことを決めたため、助左衛門は一生涯の別れに、胸に秘めた30年間の思いを美緒に告白します。そして、黄金の花を咲かせた堺の町に自ら火を放ち、ルソンへ船出しました。
徳川家康は石田三成らを六条河原で処刑しました。そして、助左衛門を大坂城に呼び出して、堺の町を閉じて商人たちを江戸へ移すように命じます。助左衛門は堺の町を、江戸にではなく、ルソンに移そうと決めて、同行者を募ります。今井宗薫らは江戸に行くことを決めたため、助左衛門は一生涯の別れに、胸に秘めた30年間の思いを美緒に告白します。そして、黄金の花を咲かせた堺の町に自ら火を放ち、ルソンへ船出しました。
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