東京オリンピックの開催に向け、わずか5年間で首都高速道路を造り上げた人々の挑戦を伝える。東京オリンピックは敗戦から復興した日本を世界にアピールする絶好の機会だったが、都心の交通渋滞が懸念されていた。都庁の技官らは、用地買収の必要がない川や道路の上を通る高架道路を造ろうと計画。しかし、4本の高速道路が合流する江戸橋ジャンクションには橋脚が100本必要な上に、ビル地帯には橋 .. show full overview
1945年5月の大空襲で焼失した国宝・名古屋城の復元に尽力した職人たちの挑戦を伝える。終戦後、名古屋城の再建は市民の悲願だったが、建設費の試算は当時の金額で6億円。復興期の公共事業が続いて、とても出せる額ではなかった。そんな中、市内の商店主たちが街頭での募金活動や芸能人を呼んで野球大会を催すなど、名古屋城再建のPRに立ち上がった。55年、ついに市は名古屋城の再建を決定。 .. show full overview
高価な太陽電池を庶民でも買える値段にするため、30年に及ぶ苦闘を重ねた技術者らのドラマを送る。1959年に創業した京セラは、小さな電機部品メーカーとしてスタート。絶縁体部品セラミックスの研究をたった一人で確立した稲盛和夫が技術総責任者となり、技術を世のために使うという信念の下で会社は急成長していった。73年、石油ショックの影響でメーカーからの受注が減る中、稲盛は新しいエ .. show full overview
2年間で100万人の観客動員を記録した宝塚歌劇団の伝説の舞台「ベルサイユのばら」を実現させた人々の奮闘のドラマを送る。昭和40年代、テレビの普及によってスターの姿が手軽に見られるようになり、宝塚歌劇の劇場は空席が目立つようになった。当時、演出部門の若手スタッフだった植田紳爾は、フランス革命時代を舞台に華麗で過酷な愛の物語を描いた漫画「ベルサイユのばら」を舞台化しようと発 .. show full overview
世界に先駆けて小型で高出力のロータリーエンジンを開発した自動車メーカー、マツダの技術者らの挑戦のドラマを追う。1982年、マツダに入社した田島誠司は、社内で伝説の部署と呼ばれていた「ロータリーエンジン設計課」に配属された。同社でロータリーエンジン開発のプロジェクトが生まれたのは、田島が入社する19年前。山本健一をリーダーとする技術者らは「飽くなき挑戦」を合言葉に5年とい .. show full overview