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Seizoen 1
Uitzenddatum
Apr 02, 2022
<ラインナップ>
・人類はどうやって日本へやって来たのか。
・DNA解析によって分かった日本人のルーツ。
・縄文時代、日本にはアートの心があった?
<内容>
第1回は、次々と塗り替えられている「古代史の今」を具体的に見ていく。縄文時代の常識を変えた「三内丸山遺跡」、2021年に一部発掘調査が行われた世界遺産「仁徳天皇陵」、約50mに及ぶ高層建築の可能性が高
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<ラインナップ>
・人類はどうやって日本へやって来たのか。
・DNA解析によって分かった日本人のルーツ。
・縄文時代、日本にはアートの心があった?
<内容>
第1回は、次々と塗り替えられている「古代史の今」を具体的に見ていく。縄文時代の常識を変えた「三内丸山遺跡」、2021年に一部発掘調査が行われた世界遺産「仁徳天皇陵」、約50mに及ぶ高層建築の可能性が高まった「出雲大社」をモデルケースに一番新しい古代史とはどういうものかを考える。さらに人類が日本列島に到達したところから、日本という国がどのように始まったかを時系列で追っていく。旧石器時代の人骨から最新技術によって2021年に判明した「日本人のルーツ」とは?縄文時代に誕生した「縄文土器」は「火焔型土器」など劇的な変ぼうを遂げる。そこにどんな「物語」があったのか…?
Uitzenddatum
Apr 09, 2022
<ラインナップ>
・土偶から見えてくる新しい事実
・今までの常識を覆した三内丸山遺跡
・貝塚はゴミ捨て場ではない
<内容>
紀元前11000年頃からの縄文時代を詳しく取り上げる。この時代に現れるのが、女性をかたどったと言われる土偶だ。この土偶は時代とともに驚きの変化をする。宇宙人ともいわれた「遮光器土偶」など、奇妙な形をした土偶に縄文人はどんな想いを込めた
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<ラインナップ>
・土偶から見えてくる新しい事実
・今までの常識を覆した三内丸山遺跡
・貝塚はゴミ捨て場ではない
<内容>
紀元前11000年頃からの縄文時代を詳しく取り上げる。この時代に現れるのが、女性をかたどったと言われる土偶だ。この土偶は時代とともに驚きの変化をする。宇宙人ともいわれた「遮光器土偶」など、奇妙な形をした土偶に縄文人はどんな想いを込めたのだろうか。紀元前3900年頃に出現したと思われるのが世界遺産・三内丸山遺跡だ。この発見で「古代東北は未開の地」という常識は覆った。遺跡からは巨木を使った高層建築物や巨大建物の跡、加工されたヒスイや漆器など高度な技術が必要な出土品も数多く発見された。当時の暮らしは、どういったものだったのか。いまだ謎の多い縄文時代、古代史を読み解くために必要なものとは何かを考える。
Uitzenddatum
Apr 16, 2022
<ラインナップ>
「稲作が始まったのは弥生時代から」ではなかった?
縄文土器に比べて簡素になった弥生土器の謎。
世紀の発見!吉野ケ里遺跡から分かること。
<内容>
かつては、弥生時代に始まったとされてきた稲作。実は、近年の研究では、縄文時代の晩期に一部で、すでに行われていたことが分かってきた。これにより、弥生時代の始まりも早まることに!?また、島根県の出雲
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<ラインナップ>
「稲作が始まったのは弥生時代から」ではなかった?
縄文土器に比べて簡素になった弥生土器の謎。
世紀の発見!吉野ケ里遺跡から分かること。
<内容>
かつては、弥生時代に始まったとされてきた稲作。実は、近年の研究では、縄文時代の晩期に一部で、すでに行われていたことが分かってきた。これにより、弥生時代の始まりも早まることに!?また、島根県の出雲地方からは、弥生時代の大量の銅剣や銅鐸が出土。しかも、なぜか他の遺跡から出土した物にはない「×」の印が刻まれていた。これは一体、何を意味したのか?今回は、弥生時代前期に迫ります。
Uitzenddatum
Apr 23, 2022
<ラインナップ>
当時の日本には100もの国があった?
弥生時代に漢字が伝わっていた可能性
卑弥呼の誕生と、今も残る多くの謎
<内容>
今から2100年〜1800年前の弥生時代中期から後期。日本が国としてまとまり始めた時代を見ていく。中国の大国「漢」との交流で授かったとされる「金印」にはどんな意味があるのか?日本で大乱が起きた後に国をまとめた卑弥呼。「
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<ラインナップ>
当時の日本には100もの国があった?
弥生時代に漢字が伝わっていた可能性
卑弥呼の誕生と、今も残る多くの謎
<内容>
今から2100年〜1800年前の弥生時代中期から後期。日本が国としてまとまり始めた時代を見ていく。中国の大国「漢」との交流で授かったとされる「金印」にはどんな意味があるのか?日本で大乱が起きた後に国をまとめた卑弥呼。「支配的な女王」というかつてのイメージから変化している、現在の卑弥呼像とは。そして、卑弥呼がいたとされる邪馬台国の場所について長年続く「九州説」「大和説」の論争に新展開をもたらした発見も紹介。今回は、日本古代史の最大の謎ともいえる「卑弥呼」「邪馬台国」について考える。
Uitzenddatum
Apr 30, 2022
<ラインナップ>
〇古墳時代、前方後円墳の謎
〇ヤマト政権の成立
〇仁徳天皇陵、今の教科書では違う名称?
〇埴輪とは何だったのか
<内容>
今回は古墳が盛んに造られた古墳時代。西暦250年頃、最初の前方後円墳とみられる箸墓古墳が築造される。権力者の墓として、それまでにない巨大な古墳の登場は、強大な力を持つ政治勢力が生まれたことを示している。300年代前半
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<ラインナップ>
〇古墳時代、前方後円墳の謎
〇ヤマト政権の成立
〇仁徳天皇陵、今の教科書では違う名称?
〇埴輪とは何だったのか
<内容>
今回は古墳が盛んに造られた古墳時代。西暦250年頃、最初の前方後円墳とみられる箸墓古墳が築造される。権力者の墓として、それまでにない巨大な古墳の登場は、強大な力を持つ政治勢力が生まれたことを示している。300年代前半には、実在した最初の天皇と考えられている10代崇神天皇の墓とされる行燈山古墳が築造されたことから、このころヤマト王権が成立したとみられる。ヤマト王権は勢力を広めていき、その様子は、前方後円墳が全国に造られていったことから推察される。そして400年代には、日本最大の大山古墳(仁徳天皇陵)をはじめとする巨大な古墳が河内地方にいくつも造られる。しかし、ヤマト王権の政治体制が整っていくにつれて、巨大な前方後円墳は造られなくなっていく。代わって、内部にカラフルな文様や絵画を描いた装飾古墳が登場し、やがて古墳時代は終焉を迎える。
Uitzenddatum
Mei 07, 2022
<ラインナップ>
〇ヤマト政権、朝鮮半島に進出
〇古墳時代中期に馬が導入。それまでは牛も馬もいなかった?
〇倭の国王とは誰だったのか
<内容>
今回は古墳時代後半、390年代から500年代初頭を見ていきます。この頃、ヤマト王権はすでに活発な外交活動を展開していました。朝鮮半島にあった国の石碑には、当時「倭」と呼ばれたヤマト王権が、何度も朝鮮半島に進出したこ
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<ラインナップ>
〇ヤマト政権、朝鮮半島に進出
〇古墳時代中期に馬が導入。それまでは牛も馬もいなかった?
〇倭の国王とは誰だったのか
<内容>
今回は古墳時代後半、390年代から500年代初頭を見ていきます。この頃、ヤマト王権はすでに活発な外交活動を展開していました。朝鮮半島にあった国の石碑には、当時「倭」と呼ばれたヤマト王権が、何度も朝鮮半島に進出したことが刻まれています。古墳時代にはすでに行われていた朝鮮半島への進出。その目的は何だったのでしょうか?中国の歴史書には「讃」「珍」「済」「興」「武」と名乗る、倭の5人の王が中国に使いを送ったことが記されています。「倭の五王」と呼ばれる王たちの正体とは?500年代になると、ヤマト王権は越の国と呼ばれた、現在の福井県より継体天皇を迎えます。そして、ヤマト王権最大の内乱が起こるのですが、その背景には一体何があったのでしょうか?
Uitzenddatum
Mei 14, 2022
<ラインナップ>
●538年(「日本書紀」では552年) 仏教伝来
●「経典」の伝来…当時“文字”の認識は!?
● 蘇我氏と物部氏がの対立が発展し、「丁未の乱」
● 32代・崇峻(すしゅん)天皇が即位
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<ラインナップ>
●538年(「日本書紀」では552年) 仏教伝来
●「経典」の伝来…当時“文字”の認識は!?
● 蘇我氏と物部氏がの対立が発展し、「丁未の乱」
● 32代・崇峻(すしゅん)天皇が即位
<内容>
今回は、古墳時代後期の出来事「仏教伝来」を中心にお届け。538年、百済から仏教が伝来すると、蘇我氏と物部氏が、受け入れるかどうかで対立。しかし、実はその裏で、仏教以外に対立する原因があった。一体、それは何だったのか!?さらに、蘇我氏と物部氏の対立が「丁未の乱」に発展。当時14歳だった聖徳太子も参戦するが...この時、聖徳太子がとったある行動が、蘇我氏を勝利に導いたともいわれている。果たして、聖徳太子はどのような行動に出たのか?
Uitzenddatum
Mei 21, 2022
<ラインナップ>
●崇峻(すしゅん)天皇、が暗殺され、初の女帝・33代推古天皇即位
●「隋」の技術や制度を学ぶため遣隋使を派遣
●世界最古の木造建築法隆寺の建立
●没後起こった「聖徳太子信仰」
●「隋の滅亡」と「唐」の中国統一
<内容>
今回は初の女性天皇・推古天皇と側近・聖徳太子の国づくりを中心に歴史を紐解きます。この時代に制定された「冠位十二階」「
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<ラインナップ>
●崇峻(すしゅん)天皇、が暗殺され、初の女帝・33代推古天皇即位
●「隋」の技術や制度を学ぶため遣隋使を派遣
●世界最古の木造建築法隆寺の建立
●没後起こった「聖徳太子信仰」
●「隋の滅亡」と「唐」の中国統一
<内容>
今回は初の女性天皇・推古天皇と側近・聖徳太子の国づくりを中心に歴史を紐解きます。この時代に制定された「冠位十二階」「憲法十七条」の狙いは?仏教を国の柱にしようとした聖徳太子の仏教観とは?中国統一を果たした大国・隋と日本はどのように向き合うのか。遣隋使の国書に隠された聖徳太子のしたたかな戦略とは?
Uitzenddatum
Mei 28, 2022
<ラインナップ>
●628年 初の女帝・推古天皇 崩御、蘇我氏ら豪族の権力拡大
●643年 蘇我入鹿が厩戸皇子(聖徳太子)の息子・山背大兄王を襲撃し、聖徳太子の一族が滅亡
●645年 中大兄皇子・中臣鎌足が蘇我入鹿を殺害「乙巳の変」
●第36代・孝徳天皇が即位 初の元号
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<ラインナップ>
●628年 初の女帝・推古天皇 崩御、蘇我氏ら豪族の権力拡大
●643年 蘇我入鹿が厩戸皇子(聖徳太子)の息子・山背大兄王を襲撃し、聖徳太子の一族が滅亡
●645年 中大兄皇子・中臣鎌足が蘇我入鹿を殺害「乙巳の変」
●第36代・孝徳天皇が即位 初の元号 「大化」を定める
<内容>
今回は、かつて「大化の改新」と習った人も多い「乙巳(いっし)の変」を中心に、600年代半ばの飛鳥時代を詳しく見ていく。この時期、天皇の後継者選びに絶大な影響力をもっていたのが、蘇我蝦夷・入鹿父子だ。蘇我家の娘を次々と天皇家へ嫁がせ、蘇我氏にとって扱いにくい次期天皇候補を殺害するなど横暴を極めた、とされている。だが最近では蘇我氏の残した功績も評価されてきている。蘇我氏が残したものとは何だったのか?その蘇我親子を中大兄皇子らが殺害したのが「乙巳の変」だ。その背景に630年に派遣された、第1回「遣唐使」があった。彼らが日本に持ち帰ったものが、古代最大のクーデターに大きく影響を与えていた。
Uitzenddatum
Jun 04, 2022
<ラインナップ>
●660年 唐・新羅 連合軍により百済が滅亡
斉明天皇 中大兄皇子は百済の救済を決定
●663年 「白村江(はくそんこう)の戦い」倭軍数万人で攻撃も歴史的大敗
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<ラインナップ>
●660年 唐・新羅 連合軍により百済が滅亡
斉明天皇 中大兄皇子は百済の救済を決定
●663年 「白村江(はくそんこう)の戦い」倭軍数万人で攻撃も歴史的大敗
●667年 中大兄皇子は外敵に備えるため近江大津宮(おうみおおつのみや)へ遷都
翌年、第38代 天智天皇として即位
●670年 初の戸籍「庚午年籍(こうごねんじゃく)」を「中央集権化」政策として作成
<内容>
ヤマト王権が朝鮮半島で唐・新羅連合軍との戦いに挑んだ「白村江の戦い」を中心に見ていく。660年、唐・新羅軍によって滅ぼされた百済を助けるために倭国は朝鮮出兵を決定する。661年、斉明天皇は高齢にも関わらず中大兄皇子とともに自らも筑紫へ出兵。斉明天皇は出兵先の筑紫で崩御、陵墓はどこにあるのか?2010年の調査で最新情報が出てきている。663年、倭国は結果的に朝鮮半島の白村江で歴史的な大敗を喫し、664年以降、中大兄皇子は国内防御を急造。山城を次々と建築したり、沿岸部に防人を配置する。667年に都を飛鳥から内陸部の近江に移したのも、国内防御策のひとつだった。全国徴兵の足掛かりにするため、初の全国的な戸籍「庚午年籍」を作成する。668年には中大兄皇子は天皇に即位。第38代、天智天皇となる。天智天皇の盟友・中臣鎌足は669年に死去。死の直前に、天皇から「藤原」姓を授かる。
Uitzenddatum
Jun 11, 2022
<ラインナップ>
●668年 38代・天智天皇が即位も ほどなく病に臥し皇位継承争いへ
●672年6月 古代史最大の内乱「壬申の乱」が勃発
●673年 勝利した大海人皇子は新たな都として飛鳥浄御原宮を造営し天武天皇として即位
●更なる中央集権国家の形成へ動き出す。
<内容>
今回は、飛鳥時代の後期に起きた古代史最大の内乱「壬申の乱」に迫る1時間。38代・天智天皇の後継を巡って、弟の大海人皇子と息子の大友皇子が対立します。一体なぜ、2人は、皇位継承を巡り、争うことになったのか?さらに、2人の対立は、やがて古代史最大の内乱と言われる「壬申の乱」へと発展します。古代史最大とは、一体、どのような戦だったのか?そして、弟・大海人皇子と息子・大友皇子、2人の命は!?
Uitzenddatum
Jun 18, 2022
<ラインナップ>
●690年 在位13年間40代天武天皇が崩御41代持統天皇(45歳)が即位
●即位の礼・式年遷宮など現在に繋がる儀式が行われる
●694年 本格的な宮都「藤原京」の誕生
●697年
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<ラインナップ>
●690年 在位13年間40代天武天皇が崩御41代持統天皇(45歳)が即位
●即位の礼・式年遷宮など現在に繋がる儀式が行われる
●694年 本格的な宮都「藤原京」の誕生
●697年 文武天皇が即位し日本初の律令「大宝律令」制定
●幹線道路のネットワークが整備され、国号も倭国から日本へと移り変わる
<内容>
今回は、40代天武天皇、41代持統天皇、42代文武天皇の3代にわたる国家プロジェクトを紹介。律令国家を目指し造られた日本初の本格的な都「藤原京」とは?そして、いまにつながる制度の整備が進んだのもこの時期。持統天皇が即位の礼を整備した狙いは?さらに「天皇」の称号や「日本」という呼び名の制度化も進み、「大宝律令」で定められたルールの中にはいまも残っているものもあります。現代日本にどのような影響を与えているのでしょうか?
Uitzenddatum
Jun 25, 2022
<ラインナップ>
●707年 第42代文武天皇が25歳で崩御・母が第43代元明天皇即位
●710年 平城京遷都 以降、奈良時代へ
●712年 「古事記」完成
●717年 第9回
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<ラインナップ>
●707年 第42代文武天皇が25歳で崩御・母が第43代元明天皇即位
●710年 平城京遷都 以降、奈良時代へ
●712年 「古事記」完成
●717年 第9回 「遣唐使」を派遣し、平城京はシルクロードの東の終着点に
飛鳥時代から奈良時代に移り変わる707年から717年を詳しく紹介。710年に平城京へと遷都。それは、藤原京への遷都からわずか16年での遷都となるが、なぜ短期間での遷都になったのか、その謎に迫り、当時の平城京の様子をCGを交え詳しく紹介。また、この時代は、天皇の継承が、子から母へ、母から娘へと、日本の歴史上極めて珍しい継承が行われる。そこには、藤原不比等の思惑があったと考えれるが、その思惑とは何だったのか。そして、飛鳥時代から奈良時代は16代中8代が女性天皇。なぜ、女性天皇が多いのか、その理由に迫る。さらに、8世紀、平城京はシルクロードの終着点と呼ばれるほど国際化の波を受けた時代。平城京に見られる世界の文化の影響を紹介する。
Uitzenddatum
Jul 02, 2022
<ラインナップ>
◇古事記と日本書紀 完成年・冊数のほか目的や作成経緯などを比較。
◇神話は何を伝えているのか? 天地創生から天孫降臨までを徹底考察。
◇日本書紀の謎。中国の正史に記載されている「邪馬台国」と「卑弥呼」の存在。日本書紀にはなぜか一切それらの記述はありません。一体なぜ?
<内容>
今回は現存する日本最古の歴史書、古事記と日本書紀の特集。そちら
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<ラインナップ>
◇古事記と日本書紀 完成年・冊数のほか目的や作成経緯などを比較。
◇神話は何を伝えているのか? 天地創生から天孫降臨までを徹底考察。
◇日本書紀の謎。中国の正史に記載されている「邪馬台国」と「卑弥呼」の存在。日本書紀にはなぜか一切それらの記述はありません。一体なぜ?
<内容>
今回は現存する日本最古の歴史書、古事記と日本書紀の特集。そちらも奈良時代の初めに完成した書物だが、作成の目的、経緯は全く違い、文体も日本書紀は当時のグローバルな漢文で書かれたのに対し、古事記は、漢文を日本風にアレンジした独特の文体が使われている。古事記は神話にまでさかのぼった天皇家の歴史書で、その3分の1は初代神武天皇に至るまでの神々の世界が描かれている。イザナギ・イザナミの国生み、アマテラスの天岩戸隠れ、スサノオのヤマタノオロチ退治、オオクニヌシの国造りと国譲り、天孫降臨といった神話はいったい何を伝えているのか。一方日本書紀は、歴代の天皇とその時代を記すことで、国家による正史としての役割があった。日本書紀に記された歴代の天皇像とは。そして、古事記、日本書紀の編さんに関わったとされるのが、政治の中枢にいた藤原不比等だった。不比等が記紀に込めた思惑について考察していく。
Uitzenddatum
Jul 09, 2022
<ラインナップ>
●724年 45代・聖武天皇が即位。藤原氏の血を引く天皇が誕生。
●727年 渤海から使節団が初来航。
●727年 聖武天皇に皇子誕生。しかし翌年死去し、非藤原氏の天皇即位の可能性が生じる。
●729年 「長屋王の変」
藤原不比等の子である藤原四兄弟による権力確保の動きが如実に…。
●735年
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<ラインナップ>
●724年 45代・聖武天皇が即位。藤原氏の血を引く天皇が誕生。
●727年 渤海から使節団が初来航。
●727年 聖武天皇に皇子誕生。しかし翌年死去し、非藤原氏の天皇即位の可能性が生じる。
●729年 「長屋王の変」
藤原不比等の子である藤原四兄弟による権力確保の動きが如実に…。
●735年 天然痘が大流行。全国へ猛威を振るい政権にも影響。藤原四兄弟が相次いで病死。
<内容>
国内で天然痘が大流行し猛威を振るいます。100万人ほどの死者が出たとされる古代史最大規模のパンデミック。その全貌に迫ります。そんな中、聖武天皇が平城京を飛び出し、5年間も各地を転々とする、謎めいた行動にでます。一体なぜ、そのような行動に出たのか?古代史の謎の一つとされる聖武天皇の「彷徨5年」、その真相とは!?
Uitzenddatum
Jul 16, 2022
<ラインナップ>
●741年「国分寺建立の詔」
●743年「大仏造立の詔」
45代聖武天皇は災難が続く日本の社会不安を取り除こうと、仏教の力を頼り鎮護国家思想を強める
●745年 紫香楽宮から平城京へ遷都。大仏の建立場所も変更に。
●749年 45代聖武天皇が出家し娘に譲位。46代孝謙天皇が即位。
●752年 大仏“完成”
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<ラインナップ>
●741年「国分寺建立の詔」
●743年「大仏造立の詔」
45代聖武天皇は災難が続く日本の社会不安を取り除こうと、仏教の力を頼り鎮護国家思想を強める
●745年 紫香楽宮から平城京へ遷都。大仏の建立場所も変更に。
●749年 45代聖武天皇が出家し娘に譲位。46代孝謙天皇が即位。
●752年 大仏“完成” 。詔が出てから9年、金メッキ作業は継続しながらも大仏と大仏殿が一応の完成を迎える
<内容>
天然痘のパンデミックや地震など厄災が続く中、45代聖武天皇は仏教で国を導こうと考えました。そして奈良の大仏が造られることになります。聖武天皇があれほど巨大な仏像を求めた理由とは?また、大プロジェクトを支えていた僧・行基とはどのような人物だったのでしょうか?さらに、大仏造立には八幡神も協力。なぜ神が力を貸したのでしょうか?今回は奈良の大仏を紐解きます。
Uitzenddatum
Jul 23, 2022
仏教が政治や皇位継承にも深く関わってくる奈良時代中期から後期。
●753年、唐の高層・鑑真が来日。
●仏教と神祇信仰の融合が進み、各地に神宮寺が作られる。
●孝謙太上天皇の病気を僧侶である道鏡が治したことで、道鏡が政治の中枢へ入ってくる。当時は、淳仁天皇と藤原仲麻呂が実権を握っていたが、孝謙太上天皇と道鏡は手を組み、これらの勢力と対立することに。
<内容>
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仏教が政治や皇位継承にも深く関わってくる奈良時代中期から後期。
●753年、唐の高層・鑑真が来日。
●仏教と神祇信仰の融合が進み、各地に神宮寺が作られる。
●孝謙太上天皇の病気を僧侶である道鏡が治したことで、道鏡が政治の中枢へ入ってくる。当時は、淳仁天皇と藤原仲麻呂が実権を握っていたが、孝謙太上天皇と道鏡は手を組み、これらの勢力と対立することに。
<内容>
仏教が政治や皇位継承にまで影響を与えた奈良時代後半、753年からのおよそ20年間を詳しく見ていきます。唐の高僧・鑑真(がんじん)が10年の歳月をかけ、6度目の挑戦で来日。失明してしまうほどの厳しい航海を乗り越えて鑑真が日本に伝えたかったこととは何だったのでしょうか?一方このころ、「仏教寺院」と「神社」が結びつく「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」の動きが各地で激しくなります。それにはどんな背景があったのでしょうか?756年、光明皇太后が聖武太上天皇の遺品を東大寺に納めたことから正倉院が始まります。1200年の時を経てもなお輝きを放つ「正倉院宝物(ほうもつ)」の本当の魅力に迫ります。769年、称徳天皇に重用された僧侶・道鏡(どうきょう)が天皇に即位するかもしれないという前代未聞の事件が起こります。この「宇佐八幡神託事件」の裏にはまたしても宇佐八幡宮が関わっていました。果たしてその真相とは?
Uitzenddatum
Jul 30, 2022
<ラインナップ>
桓武天皇が即位し、長岡京へ遷都を行うが、わずか 10 年で平安京への遷都を決定。 いったいなぜ?
●781年 50代 桓武天皇が即位し、784年、仏教の勢力拡大を恐れ、長岡京への遷都を決定する。
●785年
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<ラインナップ>
桓武天皇が即位し、長岡京へ遷都を行うが、わずか 10 年で平安京への遷都を決定。 いったいなぜ?
●781年 50代 桓武天皇が即位し、784年、仏教の勢力拡大を恐れ、長岡京への遷都を決定する。
●785年 藤原種継が暗殺され、皇太子・早良親王も関わっていたとして流刑に処されるも自死。
●その後、災厄が相次いだため、早良親王のたたりを恐れた桓武天皇は783年長岡京の整備を中止し、784年 平安京へ遷都。ここから平安時代へと移り変わっていく。
<内容>
今回は奈良時代最後の13年間。851年に即位した桓武天皇は、平城京から遷都することを決意する。平城京で強くなってきた仏教勢力から距離を置くためのほかにもう一つ、大きな理由があったと考えられている。果たしてその理由は?854年、長岡京へ遷都するが、その翌年、造営責任者が遷都反対派に殺害される事件が発生。この事件に皇太子が関わったとして流罪となり、皇太子は非業の死を遂げる。すると、長岡京を次々と不幸や災害が襲い、人々は皇太子の祟りと恐れるようになる。長岡京を襲った不幸とは?桓武天皇は祟りから逃れるため、わずか10年で再び遷都を決断。その新しい京こそがその後1000年にわたって続く平安京だった。この遷都によって奈良時代は終わり、平安時代が幕を開ける。古代史の最終回となる今回は、松岡氏、吉村氏が、日本の成り立ちから国家体制が確立した奈良時代までを総括する。
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