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Sezon 1
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Oca 06, 2002
尾張国荒子の領主・前田利昌の四男・犬千代は異様で型破りな言動で「かぶき者」といわれていました。ある日、犬千代は自分以上にかぶき者といわれる織田信長と出会いますが、信長から言葉をかけられ、身の震えるような感動を覚えます。一方、前田家の養女となるまつが、乳母のうめに伴われ、荒子へやってきました。4歳のまつを出迎える犬千代、これが二人の出会いでした。
尾張国荒子の領主・前田利昌の四男・犬千代は異様で型破りな言動で「かぶき者」といわれていました。ある日、犬千代は自分以上にかぶき者といわれる織田信長と出会いますが、信長から言葉をかけられ、身の震えるような感動を覚えます。一方、前田家の養女となるまつが、乳母のうめに伴われ、荒子へやってきました。4歳のまつを出迎える犬千代、これが二人の出会いでした。
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Oca 13, 2002
利家がまつから贈られた大切な品がなくなります。それは、まつの父の形見でもある大切な笄(こうがい=刀装具)でした。同じころ、駿河の今川勢との争いに出向いた利家の父・利昌は胸に矢を受けてしまいます。前田家では嫡男・利久とまつの婚儀を急ぎますが、信長の一声で利家とまつの婚儀が決まります。翌年、長女も生まれ、幸せをかみしめていたやさき、利家は城内でにん傷事件を起こしてしまいます。
利家がまつから贈られた大切な品がなくなります。それは、まつの父の形見でもある大切な笄(こうがい=刀装具)でした。同じころ、駿河の今川勢との争いに出向いた利家の父・利昌は胸に矢を受けてしまいます。前田家では嫡男・利久とまつの婚儀を急ぎますが、信長の一声で利家とまつの婚儀が決まります。翌年、長女も生まれ、幸せをかみしめていたやさき、利家は城内でにん傷事件を起こしてしまいます。
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Oca 20, 2002
にん傷事件を起こして信長の怒りを買い、切腹を命じられた利家は柴田勝家やまつのとりなしで出仕停止処分に。まつは清洲城下の小屋に移り住みます。利家はまつの元を離れて信長への再仕官の道を探っていました。今川義元は4万5千の大群を率いて駿府を出発。尾張国とそこに暮らす人々の運命は風前のともし火になっているかのようでした。そのころ、利家とまつは、信長の命令で白サギを追っていました。
にん傷事件を起こして信長の怒りを買い、切腹を命じられた利家は柴田勝家やまつのとりなしで出仕停止処分に。まつは清洲城下の小屋に移り住みます。利家はまつの元を離れて信長への再仕官の道を探っていました。今川義元は4万5千の大群を率いて駿府を出発。尾張国とそこに暮らす人々の運命は風前のともし火になっているかのようでした。そのころ、利家とまつは、信長の命令で白サギを追っていました。
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Oca 27, 2002
今川勢と戦う信長軍の中に利家の姿がありました。まつは、清須城で信長を信じて待つ侍女たちに「勝ちますよ」と話し、皆を安心させます。そのころ、今川義元の本陣が桶狭間で休息を取っているという報告が信長に届きます。信長の軍勢は今川の本陣に斬(き)り込み、見事、義元を討ち取ります。しかし、信長は桶狭間の闘いで活躍した利家の追放を解きませんでした。戦いを終えた利家と弟・良之は、父・利昌の死を告げられます。
今川勢と戦う信長軍の中に利家の姿がありました。まつは、清須城で信長を信じて待つ侍女たちに「勝ちますよ」と話し、皆を安心させます。そのころ、今川義元の本陣が桶狭間で休息を取っているという報告が信長に届きます。信長の軍勢は今川の本陣に斬(き)り込み、見事、義元を討ち取ります。しかし、信長は桶狭間の闘いで活躍した利家の追放を解きませんでした。戦いを終えた利家と弟・良之は、父・利昌の死を告げられます。
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Şub 03, 2002
桶狭間での活躍にもかかわらず、いまだ織田家追放のままの利家。そんな折、利家とまつは、信長が次の標的と定めた美濃に「頸取(くびとり)足立」という武将がいることを知ります。利家は戦に備えて偵察に出発。偶然、足立六兵衛と出会い、その人柄に感服します。一方、まつは信長に、利家が足立の首を取ると宣言します。首を取ったあかつきには勘当を解き、禄高(ろくだか)を加増するよう頼みます。
桶狭間での活躍にもかかわらず、いまだ織田家追放のままの利家。そんな折、利家とまつは、信長が次の標的と定めた美濃に「頸取(くびとり)足立」という武将がいることを知ります。利家は戦に備えて偵察に出発。偶然、足立六兵衛と出会い、その人柄に感服します。一方、まつは信長に、利家が足立の首を取ると宣言します。首を取ったあかつきには勘当を解き、禄高(ろくだか)を加増するよう頼みます。
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Şub 10, 2002
弟・良之らの助けもあって何とか豪傑の足立六兵衛を討ち取った利家は、勘当前の3倍の禄高(ろくだか)で織田家追放を解かれます。そのころ、美濃攻めは苦戦していました。信長は美濃を攻めるため、近江の浅井長政に妹の市を嫁がせようと考えます。しかし市は、柴田勝家に思いを寄せていました。信長から、市の気持ちを長政に向けるよう命じられた利家は、市と得意な長刀(なぎなた)で試合をし、きっかけを作ろうとします。
弟・良之らの助けもあって何とか豪傑の足立六兵衛を討ち取った利家は、勘当前の3倍の禄高(ろくだか)で織田家追放を解かれます。そのころ、美濃攻めは苦戦していました。信長は美濃を攻めるため、近江の浅井長政に妹の市を嫁がせようと考えます。しかし市は、柴田勝家に思いを寄せていました。信長から、市の気持ちを長政に向けるよう命じられた利家は、市と得意な長刀(なぎなた)で試合をし、きっかけを作ろうとします。
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Şub 17, 2002
三河の松平元康が信長と同盟を結ぶためにやって来ます。元康の態度が信長の逆鱗(げきりん)に触れますが、利家の弟・良之の機転で無事、同盟が結ばれます。一方、信長の美濃攻めは、墨俣(すのまた)の築城に手間取っていました。そんなとき、木下藤吉郎が築城を任せてほしいと信長に直訴します。藤吉郎の活躍に、利家は戦しか取りえのない自分に悩んでしまいます。信長からも「お前より藤吉郎が上だ」と告げられてしまいます。
三河の松平元康が信長と同盟を結ぶためにやって来ます。元康の態度が信長の逆鱗(げきりん)に触れますが、利家の弟・良之の機転で無事、同盟が結ばれます。一方、信長の美濃攻めは、墨俣(すのまた)の築城に手間取っていました。そんなとき、木下藤吉郎が築城を任せてほしいと信長に直訴します。藤吉郎の活躍に、利家は戦しか取りえのない自分に悩んでしまいます。信長からも「お前より藤吉郎が上だ」と告げられてしまいます。
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Şub 27, 2002
墨俣(すのまた)の築城に手間取り、信長の美濃攻めは難航していました。木下藤吉郎は「一夜で城を築いて見せる」と大見得を切ります。藤吉郎は、東美濃の大沢次郎左衛門に鵜沼城を差し出せば領地を従来のままにすると約束をします。しかし、領地をそのままにするという約束を果たせず、藤吉郎は殺されにいくと出て行きます。心を痛める利家。そこに、藤吉郎からの手紙が届きます。それを読んだ信長は「猿は天才だ」と驚嘆します。
墨俣(すのまた)の築城に手間取り、信長の美濃攻めは難航していました。木下藤吉郎は「一夜で城を築いて見せる」と大見得を切ります。藤吉郎は、東美濃の大沢次郎左衛門に鵜沼城を差し出せば領地を従来のままにすると約束をします。しかし、領地をそのままにするという約束を果たせず、藤吉郎は殺されにいくと出て行きます。心を痛める利家。そこに、藤吉郎からの手紙が届きます。それを読んだ信長は「猿は天才だ」と驚嘆します。
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Mar 03, 2002
秀吉は墨俣(すのまた)城築城で手柄を挙げますが、利家は秀吉とふがいない自分とを比べ、悔しさで荒れる日々でした。信長は美濃をついに我がものとし、岐阜と改称します。“天下布武”という印文字も使い始めます。そのころ、信長は評定の場に明智光秀を加えます。光秀は、信長に戦わずして諸大名を従わせる方法を示し、信長の信頼を得ます。光秀を重んじる信長に他の家臣たちは反発し、次の評定を仮病で欠席してしまいます。
秀吉は墨俣(すのまた)城築城で手柄を挙げますが、利家は秀吉とふがいない自分とを比べ、悔しさで荒れる日々でした。信長は美濃をついに我がものとし、岐阜と改称します。“天下布武”という印文字も使い始めます。そのころ、信長は評定の場に明智光秀を加えます。光秀は、信長に戦わずして諸大名を従わせる方法を示し、信長の信頼を得ます。光秀を重んじる信長に他の家臣たちは反発し、次の評定を仮病で欠席してしまいます。
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Mar 10, 2002
信長は妹・市が嫁いだ浅井長政の佐和山城に出かけ、長政とすぐ意気投合しますが、長政の家臣に不穏な動きが見られました。そのことを利家の弟・良之が利家に目配せして知らせ、信長はその夜のうちに佐和山城を去ります。信長の暗殺を進言された長政は、卑怯(ひきょう)な行為だと家臣をいさめます。良之から信長の本心を聞かされた長政は胸を打たれ、家臣の陰謀を信長に伝えるように言います。
信長は妹・市が嫁いだ浅井長政の佐和山城に出かけ、長政とすぐ意気投合しますが、長政の家臣に不穏な動きが見られました。そのことを利家の弟・良之が利家に目配せして知らせ、信長はその夜のうちに佐和山城を去ります。信長の暗殺を進言された長政は、卑怯(ひきょう)な行為だと家臣をいさめます。良之から信長の本心を聞かされた長政は胸を打たれ、家臣の陰謀を信長に伝えるように言います。
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Mar 17, 2002
上洛(じょうらく)した信長の要請により、朝廷は足利義昭を征夷大将軍に任命します。そのころ前田家へは、利家に家督を譲るよう信長から命令が下されます。兄・利久と妻・つねは抵抗します。利家は信長に考え直してくれるように頼みますが、信長は聞き入れようとはしません。ようやく、利久と対決する覚悟を決めた利家は、荒子に向かいますが、利久の命令を受けた家臣たちは、槍(やり)や刀を手に利家の前に立ちふさがります。
上洛(じょうらく)した信長の要請により、朝廷は足利義昭を征夷大将軍に任命します。そのころ前田家へは、利家に家督を譲るよう信長から命令が下されます。兄・利久と妻・つねは抵抗します。利家は信長に考え直してくれるように頼みますが、信長は聞き入れようとはしません。ようやく、利久と対決する覚悟を決めた利家は、荒子に向かいますが、利久の命令を受けた家臣たちは、槍(やり)や刀を手に利家の前に立ちふさがります。
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Mar 24, 2002
信長の命令を受けて、家督を譲り受けるため荒子城へ出向いた利家を待っていたのは、自爆覚悟で火薬を抱える兄・利久たちと弓矢を構える利久の妻・つねでした。利家は兄弟で争う愚かさを諭します。話し合いの席で、つねは荒子城に呪(のろ)いをかけようとします。つねのまじないの言葉を聞いた利久は、荒子城を譲る決心をします。こうして利家は前田家の新領主となり、家臣たちを前に百万石を目指すと宣言します。
信長の命令を受けて、家督を譲り受けるため荒子城へ出向いた利家を待っていたのは、自爆覚悟で火薬を抱える兄・利久たちと弓矢を構える利久の妻・つねでした。利家は兄弟で争う愚かさを諭します。話し合いの席で、つねは荒子城に呪(のろ)いをかけようとします。つねのまじないの言葉を聞いた利久は、荒子城を譲る決心をします。こうして利家は前田家の新領主となり、家臣たちを前に百万石を目指すと宣言します。
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Mar 31, 2002
長は越前の朝倉攻めを決定。利家は秀吉、柴田勝家らとともに金ヶ崎城を攻めます。城主・朝倉景恒は府中へ逃走。初戦の勝利にわいていた信長の元に、妹・市から袋の両端がひもで結わえられた小豆袋が届けられます。それを見た利家は「袋のねずみ」、つまり「浅井長政の謀反」を読み取ります。信長は急ぎ退却を命じます。秀吉は、軍の最後尾で敵の追撃を食い止める“しんがり”を任せられ、戦場にとどまります。一方、利家は…。
長は越前の朝倉攻めを決定。利家は秀吉、柴田勝家らとともに金ヶ崎城を攻めます。城主・朝倉景恒は府中へ逃走。初戦の勝利にわいていた信長の元に、妹・市から袋の両端がひもで結わえられた小豆袋が届けられます。それを見た利家は「袋のねずみ」、つまり「浅井長政の謀反」を読み取ります。信長は急ぎ退却を命じます。秀吉は、軍の最後尾で敵の追撃を食い止める“しんがり”を任せられ、戦場にとどまります。一方、利家は…。
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Nis 07, 2002
信長は、浅井・朝倉と手を組んだ大坂の本願寺門徒から攻撃を受けます。利家はこの戦いで戦功をあげ、信長から近江・今浜の1万石を拝領します。利家は、浅井を裏切り、市のもとを離れていた弟・良之が再び信長に仕えられるよう願い出ますが拒絶されます。一方、信長勢に押された浅井・朝倉軍は、比叡山に逃げこみます。信長は比叡山を攻め、全山を焼き払います。良之は、焼け落ちるお堂の中で見つけた赤ん坊を連れて帰ります。
信長は、浅井・朝倉と手を組んだ大坂の本願寺門徒から攻撃を受けます。利家はこの戦いで戦功をあげ、信長から近江・今浜の1万石を拝領します。利家は、浅井を裏切り、市のもとを離れていた弟・良之が再び信長に仕えられるよう願い出ますが拒絶されます。一方、信長勢に押された浅井・朝倉軍は、比叡山に逃げこみます。信長は比叡山を攻め、全山を焼き払います。良之は、焼け落ちるお堂の中で見つけた赤ん坊を連れて帰ります。
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Nis 14, 2002
徳川家から信長あてに利家の弟・良之を召し抱えるという通知が届きます。これには裏があり、信長が家康の動向を良之に探らせるために密偵として送り込んだのです。浅井家に続いて、またもや良之が忍びとして使われたことに利家はどうにも飲み込めないものを感じていました。良之はまつに比叡山で拾った赤ん坊を託して旅立ちます。そのころ、武田信玄が上洛(じょうらく)を目指していました。迎え撃つ徳川軍の中に良之の姿が…。
徳川家から信長あてに利家の弟・良之を召し抱えるという通知が届きます。これには裏があり、信長が家康の動向を良之に探らせるために密偵として送り込んだのです。浅井家に続いて、またもや良之が忍びとして使われたことに利家はどうにも飲み込めないものを感じていました。良之はまつに比叡山で拾った赤ん坊を託して旅立ちます。そのころ、武田信玄が上洛(じょうらく)を目指していました。迎え撃つ徳川軍の中に良之の姿が…。
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Nis 21, 2002
天正2(1574)年正月。岐阜城では新年の祝賀の宴(うたげ)が催されていました。その席で信長は、滅ぼした朝倉義景、浅井久政、浅井長政の髑髏(どくろ)で作った杯を披露します。光秀たちはすすんでその杯で酒を飲みますが、利家は…。一方、まつは、秀吉の子が正妻・おねの侍女に宿ったと聞かされます。子供に恵まれないおね。身重だったまつは、生まれた子が女の子なら、おねにあげると約束します。
天正2(1574)年正月。岐阜城では新年の祝賀の宴(うたげ)が催されていました。その席で信長は、滅ぼした朝倉義景、浅井久政、浅井長政の髑髏(どくろ)で作った杯を披露します。光秀たちはすすんでその杯で酒を飲みますが、利家は…。一方、まつは、秀吉の子が正妻・おねの侍女に宿ったと聞かされます。子供に恵まれないおね。身重だったまつは、生まれた子が女の子なら、おねにあげると約束します。
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Nis 28, 2002
天正3年(1575)、年が明け、しばらく平穏な日々が続いていました。織田家の家臣とその妻たちは、信長から与えられる領地に関心を示し始めていました。まつも利家がどこの領地をもらえるのかと期待に胸をふくらませていました。その年の5月、織田・徳川軍は甲斐の武田軍と長篠で激突。3千丁の鉄砲で迎え撃つ織田軍の前に、武田軍は敗れました。この合戦で、利家は領地拝領という恩賞を期待するのですが…。
天正3年(1575)、年が明け、しばらく平穏な日々が続いていました。織田家の家臣とその妻たちは、信長から与えられる領地に関心を示し始めていました。まつも利家がどこの領地をもらえるのかと期待に胸をふくらませていました。その年の5月、織田・徳川軍は甲斐の武田軍と長篠で激突。3千丁の鉄砲で迎え撃つ織田軍の前に、武田軍は敗れました。この合戦で、利家は領地拝領という恩賞を期待するのですが…。
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May 05, 2002
念願の大名となった利家は、信長に側室・吉乃の看病を頼まれたまつを岐阜に残して、単身、越前府中城に入ります。迎えた家臣の中に兄・利久の子・慶次郎の姿がありました。家来になれという利家に対して、慶次郎は荒子を取り戻しに来たと声を荒げます。そんなある日、利家は自分の身の回りの世話をする女・岩に声をかけます。岩は緊張のあまり気を失ってしまいます。岩は信長が根絶やしにせよと厳命していた一向宗徒だったのです。
念願の大名となった利家は、信長に側室・吉乃の看病を頼まれたまつを岐阜に残して、単身、越前府中城に入ります。迎えた家臣の中に兄・利久の子・慶次郎の姿がありました。家来になれという利家に対して、慶次郎は荒子を取り戻しに来たと声を荒げます。そんなある日、利家は自分の身の回りの世話をする女・岩に声をかけます。岩は緊張のあまり気を失ってしまいます。岩は信長が根絶やしにせよと厳命していた一向宗徒だったのです。
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May 12, 2002
越前府中城の利家とまつの元に、柴田勝家や佐々成政らが集まり、つかの間の平和に話が弾みます。天正5年(1577)7月、越後の上杉謙信が西へ向かって出陣。勝家を大将とする織田軍は上杉軍を迎え撃ちます。しかし、織田軍は惨敗し命からがら逃げ帰ります。戦のさなか、勝家と秀吉が仲たがいし、秀吉は軍勢を引き連れて戦線を離れてしまいます。信長は怒り、秀吉は…。
越前府中城の利家とまつの元に、柴田勝家や佐々成政らが集まり、つかの間の平和に話が弾みます。天正5年(1577)7月、越後の上杉謙信が西へ向かって出陣。勝家を大将とする織田軍は上杉軍を迎え撃ちます。しかし、織田軍は惨敗し命からがら逃げ帰ります。戦のさなか、勝家と秀吉が仲たがいし、秀吉は軍勢を引き連れて戦線を離れてしまいます。信長は怒り、秀吉は…。
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May 19, 2002
天正6年(1578)、安土城下の利家の元に、尾張の前田本家を継いだ長種があいさつにやってきます。その長種に一目ぼれしてしまったのは利家の長女・幸。しかし、利家は、信長から幸を徳川家に嫁がせるよう命じられていました。そのころ、利家に能登21万石が与えられるという噂(うわさ)が立っていました。利家は21万石をもらうために娘を徳川に売ったと思われるのは末代の恥と信長に訴え、徳川との縁談を辞退します。
天正6年(1578)、安土城下の利家の元に、尾張の前田本家を継いだ長種があいさつにやってきます。その長種に一目ぼれしてしまったのは利家の長女・幸。しかし、利家は、信長から幸を徳川家に嫁がせるよう命じられていました。そのころ、利家に能登21万石が与えられるという噂(うわさ)が立っていました。利家は21万石をもらうために娘を徳川に売ったと思われるのは末代の恥と信長に訴え、徳川との縁談を辞退します。
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May 26, 2002
天正6年(1578)、摂津の荒木村重が謀反を起こします。その制圧のために、利家、佐々成政、不破光治の府中三人衆も出陣しました。この戦に初陣を飾る利家の嫡男・利勝の姿がありました。しかし、一ヶ月たっても留守を守るまつの元には、利勝が初陣を飾ったという知らせは来ませんでした。利勝は、初陣の不安から南蛮寺に通うようになり、人を殺(あや)めることに疑問を持ち始めていたのです。そんな利勝に利家は…。
天正6年(1578)、摂津の荒木村重が謀反を起こします。その制圧のために、利家、佐々成政、不破光治の府中三人衆も出陣しました。この戦に初陣を飾る利家の嫡男・利勝の姿がありました。しかし、一ヶ月たっても留守を守るまつの元には、利勝が初陣を飾ったという知らせは来ませんでした。利勝は、初陣の不安から南蛮寺に通うようになり、人を殺(あや)めることに疑問を持ち始めていたのです。そんな利勝に利家は…。
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Haz 02, 2002
天正7年(1579)、利家は秀吉から家康の正室・築山と嫡男・信康が、甲斐の武田家に内通しているという噂(うわさ)を聞かされます。それを知った信長は激怒します。家康はまつに二人の命ごいのとりなしを頼もうとします。一方、まつは、乳母・うめとの久しぶりの再会を喜んでいました。そこへ、家康からの使者が到着し、まつは信長への直訴の手紙を甥(おい)・慶次郎に持たせますが、信長の怒りは納まりません。
天正7年(1579)、利家は秀吉から家康の正室・築山と嫡男・信康が、甲斐の武田家に内通しているという噂(うわさ)を聞かされます。それを知った信長は激怒します。家康はまつに二人の命ごいのとりなしを頼もうとします。一方、まつは、乳母・うめとの久しぶりの再会を喜んでいました。そこへ、家康からの使者が到着し、まつは信長への直訴の手紙を甥(おい)・慶次郎に持たせますが、信長の怒りは納まりません。
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Haz 09, 2002
天正8年(1580)、まつを訪ねた秀吉の正妻・おねは秀吉の浮気に我慢できず、離縁するから養女にもらった豪を返すと言い出します。信長は利家に、秀吉とおねの仲をなんとかしろと命じます。利家は実家に帰っているおねの元へ説得に向かいますが、おねはとりつく島もなく、利家の妻になれば良かったと言い出す始末。そんな時、利家とまつは、信長から呼び出され、利家の嫡男・利勝と信長の娘・永姫の婚儀の旨を伝えられます。
天正8年(1580)、まつを訪ねた秀吉の正妻・おねは秀吉の浮気に我慢できず、離縁するから養女にもらった豪を返すと言い出します。信長は利家に、秀吉とおねの仲をなんとかしろと命じます。利家は実家に帰っているおねの元へ説得に向かいますが、おねはとりつく島もなく、利家の妻になれば良かったと言い出す始末。そんな時、利家とまつは、信長から呼び出され、利家の嫡男・利勝と信長の娘・永姫の婚儀の旨を伝えられます。
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Haz 16, 2002
利家は信長から能登21万石を拝領、嫡男・利勝も越前府中を与えられます。能登に移った利家の元に兄・利久と妻・つねが訪ねてきて、利家の力になりたいと申し出ます。利家は快く二人を迎えます。突然、秀吉の正室・おねがまつの元を訪ね、借金を申し込みます。まつは蔵の金をすべておねに貸し与えます。後からそのことを聞かされた利家は、まつに真意を問いただします。その時、夜空に赤い星が現れ、安土の方角に流れて行きます。
利家は信長から能登21万石を拝領、嫡男・利勝も越前府中を与えられます。能登に移った利家の元に兄・利久と妻・つねが訪ねてきて、利家の力になりたいと申し出ます。利家は快く二人を迎えます。突然、秀吉の正室・おねがまつの元を訪ね、借金を申し込みます。まつは蔵の金をすべておねに貸し与えます。後からそのことを聞かされた利家は、まつに真意を問いただします。その時、夜空に赤い星が現れ、安土の方角に流れて行きます。
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Haz 23, 2002
天正10年(1582)、甲斐の武田家が滅びます。信長は武田一門を根絶やしにするため残党をかくまった恵林寺を「焼き尽くし、皆殺しにしろ」と命じ、光秀は反対する家康に対し、武田を滅ぼすまでの苦労話を始めます。その得意そうな様子を見た信長は「恩着せがましい」と光秀をけり倒します。5月、信長は自らを神とあがめよと人々に宣言。まつは天の怒りに触れたのではないかと、危ぐを感ぜずにはいられませんでした。
天正10年(1582)、甲斐の武田家が滅びます。信長は武田一門を根絶やしにするため残党をかくまった恵林寺を「焼き尽くし、皆殺しにしろ」と命じ、光秀は反対する家康に対し、武田を滅ぼすまでの苦労話を始めます。その得意そうな様子を見た信長は「恩着せがましい」と光秀をけり倒します。5月、信長は自らを神とあがめよと人々に宣言。まつは天の怒りに触れたのではないかと、危ぐを感ぜずにはいられませんでした。
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Tem 07, 2002
天正10年(1582)5月、明智光秀は連歌の会に出席し、「時は今 雨がしたしる 五月かな」と決意を詠みます。その時、家康は堺の町を見物、秀吉は備中、さらに利家と柴田勝家、佐々成政らは北陸で交戦中。信長の他の有力家臣も誰一人として迅速に動きがとれない状況でした。光秀はこの好機を逃しませんでした。翌日、信長は京で茶会を開くため本能寺に入ります。その茶会の夜、光秀は1万3千の兵を率いて京へ向かい…。
天正10年(1582)5月、明智光秀は連歌の会に出席し、「時は今 雨がしたしる 五月かな」と決意を詠みます。その時、家康は堺の町を見物、秀吉は備中、さらに利家と柴田勝家、佐々成政らは北陸で交戦中。信長の他の有力家臣も誰一人として迅速に動きがとれない状況でした。光秀はこの好機を逃しませんでした。翌日、信長は京で茶会を開くため本能寺に入ります。その茶会の夜、光秀は1万3千の兵を率いて京へ向かい…。
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Tem 14, 2002
天正10年(1582)6月3日、魚津城を落とした利家は信長への不吉な思いをぬぐいきれないまま、京へ向かっていました。道中、村井又兵衛に会い、光秀の謀反と信長の自害を知ります。同じ頃、光秀が毛利に放った使者が秀吉側の陣に捕らえられ、持っていた書状から、秀吉は本能寺の変を知ります。魚津に戻った利家が、信じられない面持ちの柴田勝家や佐々成政に本能寺のことを告げたとき、上杉軍が来襲してきます。
天正10年(1582)6月3日、魚津城を落とした利家は信長への不吉な思いをぬぐいきれないまま、京へ向かっていました。道中、村井又兵衛に会い、光秀の謀反と信長の自害を知ります。同じ頃、光秀が毛利に放った使者が秀吉側の陣に捕らえられ、持っていた書状から、秀吉は本能寺の変を知ります。魚津に戻った利家が、信じられない面持ちの柴田勝家や佐々成政に本能寺のことを告げたとき、上杉軍が来襲してきます。
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Tem 21, 2002
能登の利家の元へ、行方不明だった嫡男・利勝と妻・永姫が帰還します。利勝は、秀吉が備中から大返しをして光秀を討ったことを知らせます。小丸山城の利家のもとに柴田勝家が訪問してきました。勝家は自分と秀吉とどちらを好きか尋ねます。清須城で、織田家の跡目を決める評定が行われました。秀吉の思惑通りに3歳の三法師(さんぽうし)が織田家を継ぐことに決まりかけたその時、利家がやってきて…。
能登の利家の元へ、行方不明だった嫡男・利勝と妻・永姫が帰還します。利勝は、秀吉が備中から大返しをして光秀を討ったことを知らせます。小丸山城の利家のもとに柴田勝家が訪問してきました。勝家は自分と秀吉とどちらを好きか尋ねます。清須城で、織田家の跡目を決める評定が行われました。秀吉の思惑通りに3歳の三法師(さんぽうし)が織田家を継ぐことに決まりかけたその時、利家がやってきて…。
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Tem 28, 2002
利家は秀吉の思惑通りに進んだ清須会議の結果に納得できませんでした。利家とまつは、清洲城で弟・良之の妻・ゆうと久しぶりに再会。ゆうは良之の死後、秀吉の側室・茶々の乳母になっていました。そのころ、利家は能登・天平寺の反乱を収めます。利家は、秀吉との対決を決めた柴田勝家から人質を差し出すよう求められます。兄・利久の妻・つねは良之が比叡山で拾ってきた麻阿を差し出せばよいと言い、それを麻阿が聞いてしまい…。
利家は秀吉の思惑通りに進んだ清須会議の結果に納得できませんでした。利家とまつは、清洲城で弟・良之の妻・ゆうと久しぶりに再会。ゆうは良之の死後、秀吉の側室・茶々の乳母になっていました。そのころ、利家は能登・天平寺の反乱を収めます。利家は、秀吉との対決を決めた柴田勝家から人質を差し出すよう求められます。兄・利久の妻・つねは良之が比叡山で拾ってきた麻阿を差し出せばよいと言い、それを麻阿が聞いてしまい…。
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Ağu 04, 2002
天正10年(1582)初冬、まつは柴田勝家の居城を訪れ、人質に預けた麻阿と久しぶりに対面します。信長の妹・市と幸せに暮らしている勝家の様子に、まつは勝家が秀吉と戦になったら到底、秀吉には勝てないと予感します。京にいた利家は佐々成政に会い、亡き信長の“天下布武”の夢を二人で継ごうと誓い合います。そのころ、まつに秀吉の正妻・おねから手紙が届いていました。秀吉と手を組んで天下を平定しようというのです。
天正10年(1582)初冬、まつは柴田勝家の居城を訪れ、人質に預けた麻阿と久しぶりに対面します。信長の妹・市と幸せに暮らしている勝家の様子に、まつは勝家が秀吉と戦になったら到底、秀吉には勝てないと予感します。京にいた利家は佐々成政に会い、亡き信長の“天下布武”の夢を二人で継ごうと誓い合います。そのころ、まつに秀吉の正妻・おねから手紙が届いていました。秀吉と手を組んで天下を平定しようというのです。
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Ağu 11, 2002
柴田勝家は秀吉と戦うことを決意し、利家は勝家を助けるため出陣の準備を進めます。不破光治、佐久間盛政ら、勝家に味方する武将たちは北ノ庄城に集結。勝家軍2万5千は北近江付近で秀吉軍12万と向かい合います。両軍はお互いにけん制しあっていましたが、盛政が攻撃を仕掛けます。それを知った秀吉は「この戦、勝った」と言い、大垣から半日で駆け戻り参戦、勝家軍は総崩れになります。利家は盛政に加勢しようとしますが…。
柴田勝家は秀吉と戦うことを決意し、利家は勝家を助けるため出陣の準備を進めます。不破光治、佐久間盛政ら、勝家に味方する武将たちは北ノ庄城に集結。勝家軍2万5千は北近江付近で秀吉軍12万と向かい合います。両軍はお互いにけん制しあっていましたが、盛政が攻撃を仕掛けます。それを知った秀吉は「この戦、勝った」と言い、大垣から半日で駆け戻り参戦、勝家軍は総崩れになります。利家は盛政に加勢しようとしますが…。
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Ağu 18, 2002
賤ヶ岳(しずがたけ)で敗れた利家は越前府中城に退きます。前田軍の撤退を見て、柴田勝家の軍は動揺し総崩れになります。利家は越前府中城で、まつと乳母のうめに会います。そこに勝家がやってきます。利家は陣を立て直してもう一度、秀吉に挑もうと進言しますが、勝家は「秀吉は大きくなった」と秀吉を褒め、秀吉と一緒にこの国を切りもりしろと言い、去っていきました。翌日、秀吉が越前府中城の城門に現れます。
賤ヶ岳(しずがたけ)で敗れた利家は越前府中城に退きます。前田軍の撤退を見て、柴田勝家の軍は動揺し総崩れになります。利家は越前府中城で、まつと乳母のうめに会います。そこに勝家がやってきます。利家は陣を立て直してもう一度、秀吉に挑もうと進言しますが、勝家は「秀吉は大きくなった」と秀吉を褒め、秀吉と一緒にこの国を切りもりしろと言い、去っていきました。翌日、秀吉が越前府中城の城門に現れます。
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Ağu 25, 2002
天正11年(1583)、利家は金沢城に入城し、秀吉を迎えます。秀吉は利家に旧領・能登と加賀の二郡を与え、嫡男・利勝には松任(まっとう)4万石を与えます。そこに、佐々成政の妻・はるが佐々家の使者としてやってきます。はるは、黄金を手土産に越中の領土の安どを頼みにきたのです。秀吉は、越中を与えると書状を書いたものの、「書状は成政自身が人質を連れて取りに来い」と告げます。越中に戻ったはるは…。
天正11年(1583)、利家は金沢城に入城し、秀吉を迎えます。秀吉は利家に旧領・能登と加賀の二郡を与え、嫡男・利勝には松任(まっとう)4万石を与えます。そこに、佐々成政の妻・はるが佐々家の使者としてやってきます。はるは、黄金を手土産に越中の領土の安どを頼みにきたのです。秀吉は、越中を与えると書状を書いたものの、「書状は成政自身が人質を連れて取りに来い」と告げます。越中に戻ったはるは…。
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Eyl 01, 2002
利家は前田家の又若丸と佐々家のてる姫の縁談をためらっていました。秀吉が、家康との戦に兵を出さなかった佐々成政を許さなかったからです。まつは、秀吉の命令で大坂の秀吉の正室・おねを訪ねますが、千宗易から佐々家とは縁を切れという秀吉の意向が告げられます。しかし、秀吉の母・なかは佐々家との縁談を急ぐよう励まします。又若丸とてる姫との婚約が調いますが、利家は秀吉から再び佐々家とは縁を切れと命じられます。
利家は前田家の又若丸と佐々家のてる姫の縁談をためらっていました。秀吉が、家康との戦に兵を出さなかった佐々成政を許さなかったからです。まつは、秀吉の命令で大坂の秀吉の正室・おねを訪ねますが、千宗易から佐々家とは縁を切れという秀吉の意向が告げられます。しかし、秀吉の母・なかは佐々家との縁談を急ぐよう励まします。又若丸とてる姫との婚約が調いますが、利家は秀吉から再び佐々家とは縁を切れと命じられます。
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Eyl 08, 2002
天正12年(1584)、佐々成政は前田家家臣・奥村家福が守る末森城を攻撃します。利家は末森城を救うため出陣しようとします。そこに、秀吉の使者として石田三成が現れます。三成は「金沢城を一歩も出てはならぬ」という秀吉の命令を伝えます。出陣をためらう利家ですが、まつに諭され出陣します。末森城は落城寸前へと追い込まれていました。家福と家臣たちは利家が来ることを信じ、一刻でも長く城を守ろうとしていました。
天正12年(1584)、佐々成政は前田家家臣・奥村家福が守る末森城を攻撃します。利家は末森城を救うため出陣しようとします。そこに、秀吉の使者として石田三成が現れます。三成は「金沢城を一歩も出てはならぬ」という秀吉の命令を伝えます。出陣をためらう利家ですが、まつに諭され出陣します。末森城は落城寸前へと追い込まれていました。家福と家臣たちは利家が来ることを信じ、一刻でも長く城を守ろうとしていました。
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Eyl 15, 2002
天正12年(1584)冬、佐々成政と妻・はるは100人あまりの兵とともに真冬の立山連峰を越えようとします。浜松の徳川家康と会い、味方になってもらおうとしたのです。無謀な雪中行軍の途中で、はるは雪崩に巻き込まれて行方不明になってしまいます。成政はなんとか浜松にたどり着きますが、家康に出兵を断られてしまい…。一方、まつは秀吉の養女となった麻阿と秀吉との間にただならぬものを感じ、不安を覚えます。
天正12年(1584)冬、佐々成政と妻・はるは100人あまりの兵とともに真冬の立山連峰を越えようとします。浜松の徳川家康と会い、味方になってもらおうとしたのです。無謀な雪中行軍の途中で、はるは雪崩に巻き込まれて行方不明になってしまいます。成政はなんとか浜松にたどり着きますが、家康に出兵を断られてしまい…。一方、まつは秀吉の養女となった麻阿と秀吉との間にただならぬものを感じ、不安を覚えます。
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Eyl 22, 2002
利家とまつは大坂城を訪れて娘・麻阿と再会。秀吉の側室になる麻阿との対面は複雑な気持ちでした。天正14年(1586)5月、前田家は上洛(じょうらく)する上杉景勝の接待係となりますが、接待の指導をするために来た石田三成は尊大な態度。利家の甥(おい)・慶次郎は腹をたて、三成をけとばしてしまいます。父親の利久は三成の好物を用意して不始末をわび、三成はそんな利久に好感を持ちます。やがて景勝がやって来ます。
利家とまつは大坂城を訪れて娘・麻阿と再会。秀吉の側室になる麻阿との対面は複雑な気持ちでした。天正14年(1586)5月、前田家は上洛(じょうらく)する上杉景勝の接待係となりますが、接待の指導をするために来た石田三成は尊大な態度。利家の甥(おい)・慶次郎は腹をたて、三成をけとばしてしまいます。父親の利久は三成の好物を用意して不始末をわび、三成はそんな利久に好感を持ちます。やがて景勝がやって来ます。
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Eyl 29, 2002
秀吉の母・大政所は人質となり、徳川家康の元にやってきました。家康は大政所からお守りを見せられます。それは、今は亡き家康の正室・築山殿がまつに渡したものでした。心を動かされた家康は秀吉に会う決意をします。そのころ、まつと秀吉の正室・北政所は、佐々成政の妻・はるに似た女がいるという噂(うわさ)を聞き、南蛮寺を訪れます。そこには粗末な身なりで子どもたちの世話をするはるの姿がありました…。
秀吉の母・大政所は人質となり、徳川家康の元にやってきました。家康は大政所からお守りを見せられます。それは、今は亡き家康の正室・築山殿がまつに渡したものでした。心を動かされた家康は秀吉に会う決意をします。そのころ、まつと秀吉の正室・北政所は、佐々成政の妻・はるに似た女がいるという噂(うわさ)を聞き、南蛮寺を訪れます。そこには粗末な身なりで子どもたちの世話をするはるの姿がありました…。
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Eki 06, 2002
家康からの手紙で、佐々成政が切腹したことを知った利家とまつ。信じられない利家は秀吉の元を訪れ、家康と浅野長吉から事実であると聞かされます。利家は怒って秀吉を探しますが、秀吉の正室・北政所と利家の養女・麻阿から、娘・豪姫の祝言を前に秀吉と仲良くしてほしいと諭されます。成政の妻・はる不在のまま、成政の四十九日が執り行われます。そこに突然、はるが姿をあらわします。はるは成政の手紙を持参しており…。
家康からの手紙で、佐々成政が切腹したことを知った利家とまつ。信じられない利家は秀吉の元を訪れ、家康と浅野長吉から事実であると聞かされます。利家は怒って秀吉を探しますが、秀吉の正室・北政所と利家の養女・麻阿から、娘・豪姫の祝言を前に秀吉と仲良くしてほしいと諭されます。成政の妻・はる不在のまま、成政の四十九日が執り行われます。そこに突然、はるが姿をあらわします。はるは成政の手紙を持参しており…。
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Eki 13, 2002
秀吉の側室・茶々が淀城で棄丸(すてまる)を産みます。しかし、秀吉の正室・北政所のお付きの尼僧・孝蔵主が棄丸を北政所の元に連れて行ってしまいます。秀吉は、棄丸を茶々の元に連れ戻してくれるようにまつに頼みますが、まつは北政所の気持ちを考えるよう秀吉に言い、秀吉の申し入れを断ります。そんなまつに不満を持った秀吉は、前田家が高山右近を引き取った件で言いがかりをつけます。
秀吉の側室・茶々が淀城で棄丸(すてまる)を産みます。しかし、秀吉の正室・北政所のお付きの尼僧・孝蔵主が棄丸を北政所の元に連れて行ってしまいます。秀吉は、棄丸を茶々の元に連れ戻してくれるようにまつに頼みますが、まつは北政所の気持ちを考えるよう秀吉に言い、秀吉の申し入れを断ります。そんなまつに不満を持った秀吉は、前田家が高山右近を引き取った件で言いがかりをつけます。
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Eki 20, 2002
秀吉の正室・北政所がまつを訪ねてきます。北政所は北条家に出入りする茶人で、前田家とも縁のある山上宗二とかかわらないようにと言うのです。小田原攻めで、秀吉は宗二を捕らえます。利家は命ごいの手紙を秀吉に出しますが、秀吉は聞き入れず、宗二を殺してしまいます。さらに、小田原攻めに遅れて参陣した伊達政宗をかばう利家の男気に周りの者が感心しますが、秀吉はますます嫉妬(しっと)心にかられます。
秀吉の正室・北政所がまつを訪ねてきます。北政所は北条家に出入りする茶人で、前田家とも縁のある山上宗二とかかわらないようにと言うのです。小田原攻めで、秀吉は宗二を捕らえます。利家は命ごいの手紙を秀吉に出しますが、秀吉は聞き入れず、宗二を殺してしまいます。さらに、小田原攻めに遅れて参陣した伊達政宗をかばう利家の男気に周りの者が感心しますが、秀吉はますます嫉妬(しっと)心にかられます。
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Eki 27, 2002
利家の元に嫡男・利長の妻・永姫がやってきます。永姫が不敬の罪に問われている利休の命ごいを秀吉に願い出るよう利長に頼んだところ、けんかになったのだと言うのです。まつは天下のことより、夫や家のことを考えなさいと永姫を諭します。秀吉の正室・北政所は朝鮮への出兵や利休を切腹させようする秀吉を激しく責めます。しかし、秀吉は自分を見下す利休が疎ましく切腹を命じます。利家は切腹の命令を伝えるため、利休の元へ…。
利家の元に嫡男・利長の妻・永姫がやってきます。永姫が不敬の罪に問われている利休の命ごいを秀吉に願い出るよう利長に頼んだところ、けんかになったのだと言うのです。まつは天下のことより、夫や家のことを考えなさいと永姫を諭します。秀吉の正室・北政所は朝鮮への出兵や利休を切腹させようする秀吉を激しく責めます。しかし、秀吉は自分を見下す利休が疎ましく切腹を命じます。利家は切腹の命令を伝えるため、利休の元へ…。
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Kas 03, 2002
秀吉の母・大政所は、秀吉に朝鮮出兵をやめるよう訴えます。まつは朝鮮出兵のため、名護屋に赴いた利家の世話をさせるため、侍女・千代保を行かせます。秀吉は利家や家康らにも朝鮮出兵を反対されますが、「天下人は国を富み栄えさせねばならない」と言い、受け入れようとはしませんでした。そこへ、大政所危篤の知らせが届きます。秀吉は急ぎ大坂へ戻りますが、実は、朝鮮出兵をやめさせたいと願う大政所の芝居でした。
秀吉の母・大政所は、秀吉に朝鮮出兵をやめるよう訴えます。まつは朝鮮出兵のため、名護屋に赴いた利家の世話をさせるため、侍女・千代保を行かせます。秀吉は利家や家康らにも朝鮮出兵を反対されますが、「天下人は国を富み栄えさせねばならない」と言い、受け入れようとはしませんでした。そこへ、大政所危篤の知らせが届きます。秀吉は急ぎ大坂へ戻りますが、実は、朝鮮出兵をやめさせたいと願う大政所の芝居でした。
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Kas 10, 2002
文禄2年(1593)、秀吉の側室・淀が秀吉の子、お拾(ひろい)を出産したことで、秀吉は朝鮮出兵を中止します。そのころ、利家の世話係をしていた侍女・千代保が利家の子を懐妊し、まつにも知らされます。同じころ、まつは五女を亡くし失意のどん底に。そこへ、利家からの文が届きます。秀吉が千代保を大坂に連れて行ってしまったので、連れ戻してきてほしいというのです。まつは大坂城へ行き、千代保を返してくれと頼みます。
文禄2年(1593)、秀吉の側室・淀が秀吉の子、お拾(ひろい)を出産したことで、秀吉は朝鮮出兵を中止します。そのころ、利家の世話係をしていた侍女・千代保が利家の子を懐妊し、まつにも知らされます。同じころ、まつは五女を亡くし失意のどん底に。そこへ、利家からの文が届きます。秀吉が千代保を大坂に連れて行ってしまったので、連れ戻してきてほしいというのです。まつは大坂城へ行き、千代保を返してくれと頼みます。
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Kas 17, 2002
秀吉の側室・淀は、わが子・お拾のため、石田三成と共謀して秀吉と利家を不仲にしようと画策。一方、秀吉の甥(おい)・秀次はお拾を世継ぎにするため、自分は殺されるのではとおびえていました。そんな秀次を利家は励まします。翌年、蒲生氏郷が急死し、跡目問題が起きます。利家は秀吉に氏郷の嫡男・鶴千代への跡目相続を願い出て了承されますが、三成の反対にあい、秀吉は利家との約束を取り消してしまいます。怒った利家は…。
秀吉の側室・淀は、わが子・お拾のため、石田三成と共謀して秀吉と利家を不仲にしようと画策。一方、秀吉の甥(おい)・秀次はお拾を世継ぎにするため、自分は殺されるのではとおびえていました。そんな秀次を利家は励まします。翌年、蒲生氏郷が急死し、跡目問題が起きます。利家は秀吉に氏郷の嫡男・鶴千代への跡目相続を願い出て了承されますが、三成の反対にあい、秀吉は利家との約束を取り消してしまいます。怒った利家は…。
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Kas 24, 2002
秀吉の甥(おい)・秀次が謀反の疑いで切腹になります。利家は秀頼の後見役を命じられます。これは、石田三成によって画策されたことでした。しかし、利家は喜々として後見役を務めます。まつは家臣・長種と妻・幸に育てられている側室の子・猿千代に会いに行きます。謀反の噂(うわさ)を立てられた利家は、大納言の地位を返上し秀頼の後見役に徹するとまつに言います。まつは秀吉の命があとわずかだと北政所から告げられて…。
秀吉の甥(おい)・秀次が謀反の疑いで切腹になります。利家は秀頼の後見役を命じられます。これは、石田三成によって画策されたことでした。しかし、利家は喜々として後見役を務めます。まつは家臣・長種と妻・幸に育てられている側室の子・猿千代に会いに行きます。謀反の噂(うわさ)を立てられた利家は、大納言の地位を返上し秀頼の後見役に徹するとまつに言います。まつは秀吉の命があとわずかだと北政所から告げられて…。
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Ara 01, 2002
秀吉危篤の知らせを受け、利家とまつは伏見城に駆けつけます。もう最期かと思われた秀吉でしたが、意識が回復します。秀吉の嫡男・秀頼の後見を利家ら五大老に頼む、という遺言を孝蔵主が読み上げているとき、佐々家のふくが見舞いに訪れます。秀吉はかつて佐々成政に切腹を命じたことを涙ながら謝ります。ふくは秀吉を励ましますが、秀吉は再び意識不明に。一方、石田三成と浅野長政は秀吉亡き後の政権をねらう家康の暗殺を…。
秀吉危篤の知らせを受け、利家とまつは伏見城に駆けつけます。もう最期かと思われた秀吉でしたが、意識が回復します。秀吉の嫡男・秀頼の後見を利家ら五大老に頼む、という遺言を孝蔵主が読み上げているとき、佐々家のふくが見舞いに訪れます。秀吉はかつて佐々成政に切腹を命じたことを涙ながら謝ります。ふくは秀吉を励ましますが、秀吉は再び意識不明に。一方、石田三成と浅野長政は秀吉亡き後の政権をねらう家康の暗殺を…。
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Ara 08, 2002
秀吉亡き後、秀吉の遺言を守ろうとする利家と天下を狙う家康は対立します。利家の家臣は、家康を暗殺して利家に天下を取って欲しいと頼みます。しかし、死を予期していた利家は…。家康は利家が天下を狙うのを警戒して、それを阻止しようとします。いよいよ利家が秀吉の嫡男・秀頼とともに大坂城に入ると、家康はまつを訪ね、前田家の本心を探ろうとします。そんな折、利家の家臣たちは家康を暗殺しようと準備をしていました。
秀吉亡き後、秀吉の遺言を守ろうとする利家と天下を狙う家康は対立します。利家の家臣は、家康を暗殺して利家に天下を取って欲しいと頼みます。しかし、死を予期していた利家は…。家康は利家が天下を狙うのを警戒して、それを阻止しようとします。いよいよ利家が秀吉の嫡男・秀頼とともに大坂城に入ると、家康はまつを訪ね、前田家の本心を探ろうとします。そんな折、利家の家臣たちは家康を暗殺しようと準備をしていました。
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Ara 15, 2002
死期が近づいたことを悟った利家は、まつに遺言を書き取らせます。利家の後継ぎ・利長に3年間は大坂にとどまり、金沢へは戻らぬようにと命じるものでした。翌朝、利家は帰らぬ人に。利長は秀吉の嫡男・秀頼の後見役を引き継ぎます。秀吉の側室・淀は、利長を家康に対抗する勢力に引き入れようとします。家康は前田との戦を避けるため、まつに人質として来てほしいと頼みます。まつは自ら人質となり江戸に旅立ちます。
死期が近づいたことを悟った利家は、まつに遺言を書き取らせます。利家の後継ぎ・利長に3年間は大坂にとどまり、金沢へは戻らぬようにと命じるものでした。翌朝、利家は帰らぬ人に。利長は秀吉の嫡男・秀頼の後見役を引き継ぎます。秀吉の側室・淀は、利長を家康に対抗する勢力に引き入れようとします。家康は前田との戦を避けるため、まつに人質として来てほしいと頼みます。まつは自ら人質となり江戸に旅立ちます。
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